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2023.03.03

ノーベル平和賞受賞者は平和を乱す者??

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独裁国家には独裁国家の人権がある?

一方で、強権によって国をまとめている国では、それによって秩序が保たれ、平和をもたらし、国の発展にも繋がっているとされています。

確かに、自由主義国によって独裁政権が倒されたことで、むしろ、民族や宗教の異なる勢力同士が戦いを始め、社会が混乱に陥ることがあります。

だから、独裁的な国家でも、自分たちには自分たちの民主主義があり、人権観がある。欧米的な人権観を押しつけるな、と主張したりするわけです。

一方、欧米の自由主義国は、人権を「普遍的人権」と表現し、どこの国民によらず、人にあまねく共通の権利という概念を主張しています。

しかし、その主張は、かつて、欧米的な近代化こそが正しいと、その価値観を押しつけることで植民地を広げていった帝国主義の歴史を思い起こさせるのです。だから、それに反発する国は、自分たちには自分たちの価値観があると言うわけです。

そのため、そうした国の人権活動家を、外国の押しつける価値観にかぶれ、自国の秩序を乱す存在として弾圧する、という論理になっていきます。すると、自国のノーベル平和賞受賞者も、むしろ、自国の平和を乱す者とされてしまうわけです。

こうした国際的な問題は複雑で難しく思えますが、実は、同じ構造が私たちの身近にあります。いじめの問題がそうです。

例えば、学校の教室で、みんなといっしょに行動しないとか、変わり者ということでいじめられるのは、その人が集団の秩序を乱すと見なされるからです。また、職場で、パワハラなどを受けて訴える人は、同調する人が少なければ、やはり、職場の秩序を乱す人とされてしまいます。

実は、人は、いままで当たり前と思っていた価値観を乱されることにとても臆病で、危機感すらもつのです。

しかし、「いじめ」と聞くと、それはやってはいけないことと、だれもが思います。実際、いじめやパワハラなどを受けた人が声を上げ、そのことが社会に公表されたりすれば、多くの人に非難されることにもなります。

要は、内に閉じていたことが広く知られることで、状況が変わっていくのです。世界の問題も同じ側面があります。

独裁国家は、外に対して自由主義の価値観を押しつけるなと言いますが、内の自国の国民には、独裁政権の価値観を押しつけています。そのことに、おかしいと国民が声を上げないように治安維持法のような法律をつくり、声を上げた者を取り締まろうとします。

しかし、それでも、相当な覚悟をもって声を上げる人たちがいることで、内に閉じていた社会が開かれ、世界の多くの国の知るところとなり、それによって状況も変わっていきます。

つまり、人々が「言いたいことが言える」ことが重要なのです。それが、人権が担保されているということであり、また、「言いたいことを言う」ことによって、みんなが人権とはなにか考え、人権が守られる環境づくりのための行動が始まるきっかけにもなると考えます。

一方で、各自が「言いたいことを言う」と、社会は混乱するのでしょうか。確かに、人にはそれぞれ異なる意思や個性があります。だから、各自の言いたいことは異なっていて、それらが対立することもあります。人権同士が衝突するわけです。

そのとき、必要なのが議論と寛容です。自分と違う意見にも耳を傾け、みんなで議論して、みんなで落としどころを考えることが重要なのです。議論がなく、一方の言いたいことを他方にただ押しつけるのであれば、それは、独裁国家による強権と同じなのです。

つまり、「言いたいことを言う」ことが問題なのではなく、暴力や武力によって一方を弾圧することが問題なのです。

英語版はこちら

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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