
2021.03.03
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日本では、1960年代、70年代の高度経済成長期には、年間1万件起こることもあるほど、盛んにストライキが行われました。
しかし、最近では、ストライキが行われることはほとんどありません。なぜなのか。
理由はいくつかあると思いますが、ひとつには、当時、ストライキを行った労働組合は国鉄をはじめ、官公労が多かったことです。
公務員、もしくは準公務員である彼らには身分保障があり、いくらストライキをやっても、解雇されることも給料が減らされることもなく、彼らが勤める公社が潰れることもありません。
そうした背景もあり、彼らの要求は労働条件よりもイデオロギー性、観念性が強く、すなわち政治的な要求が先に立つことも多くありました。
さらに言えば、公共部門の労働者にはストライキ権が認められていません。つまり、彼らのストライキは違法だったのです。
こうした背景があったため、官公労の組合によるストライキは民間企業の労働者の共感を得ることは難しく、むしろ反感を買ったのです。
その後、国鉄をはじめ、電電公社、専売公社、郵政も民営化されます。その際、国が不当労働行為(労働組合活動に対する妨害行為)を行うことを認めるような時限法(国鉄改革法)を制定することを目の当たりにした国民は、労働組合の活動を萎縮するようになったこともあると思います。
以来、ストライキは悪であるかのようなイメージが定着していくのです。
しかし、世界各国では、ストライキは労働者の権利として当然のことのように行われています。
パリなどでは、ストライキによってごみの収集が行われず、街が汚れたり異臭がするような状態になっても、市民の多くは労働者側を支持します。
その理由のひとつは、労働組合がストライキで良い労働条件などを獲得すれば、それは労働者全般に適用されていくシステムがあることです。
つまり、労働組合の要求は、組合員でない人たちにとっても共感しやすいのです。
また、日本では、労働組合は会社ごとにつくられることが多いのですが、各国では、会社の枠ではなく、産業別につくられるのが基本です。
ドイツでは、最も力のある組合の一つは金属産業労働組合で、その組合員は全国に約300万人います。組合員の勤める会社は、BMWなどの自動車産業であったり、金属機器をつくる会社などであったり、様々です。
彼らは金属産業に従事する労働者として同じ労働組合に所属し、会社側も同じ産業の事業主団体を結成し、この労働組合と団体交渉を行います。
そして、この団交によって妥結した労働条件が産業界全体の基本的な労働条件となります。その後、さらに良い労働条件が会社別に交渉されることもあります。
つまり、世界各国では、労働者個人は会社という組織に対して弱い立場だからこそ団結して交渉し、勝ち取った労働条件は労働者みんなのものという基本理念が生きているのです。
一方、日本の労働契約はメンバーシップ契約と言われています。
つまり、労働者になるということは、会社のメンバーになることなのです。そのため、メンバーでいるために、会社の指示に逆らわないようになります。
会社も、ドライな欧米の企業に比べ、社員、すなわち自分たちの従順なメンバーをしっかり守ろうとします。
そこに濃密な人間関係が醸成されていき、それが日本的な良さともなるわけです。
一方、上の人たちは頼れるというパターナリズムが広がり、不満があっても自分から行動するのではなく、会社や国がなんとかしてくれる、という考えをもつ個人が増えていく面もあったのです。
しかし、国際競争が激化する現代では、企業に昔ながらのメンバーシップ型を維持する余裕がなくなってきています。それに対して、私たち労働者はどのように対応したら良いでしょう。
各国のように労働組合を強化して、自分たちの権利を主張していくのもひとつの方法だと思います。
経営者側はそのことを肝に銘じて会社経営を図るべきですし、労働者側も、より良い労働条件を会社側に要求することに加え、自立した一人の労働者として会社にすがりつかなくてもよい職業能力をどう身に着けるか、ということを見つめ直して欲しいと思います。
近年は、学校を出たあとも自ら学習を続け、自分のスキルを磨いたり、新たなスキルを獲得するリカレント教育が推奨されています。
会社に労働条件の向上を求める一方で、自らがスキルアップすることでより良い労働条件を獲得していくことも、私たちのこれからの働き方のひとつのあり方だと思います。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。