
「土器は農耕社会の産物」──長くそう信じられてきた定説が、近年の研究によって大きく揺らいでいます。発端は、極東アジアで発見された世界最古級の土器群。農耕が始まる以前、狩猟採集を営む人々がすでに粘土を焼いて器を作っていたというのです。日本の考古学がいま、人類史の書き換えを迫っています。
揺らいでいる「土器=農耕社会」という仮説
土器は単なる生活道具ではなく、人類の技術や文化の発展を物語る“証言者”のような存在です。私の研究では、日本列島の狩猟採集民がどのようにして土器づくりの技術を取り入れ、さらに多様な環境の中でそれを発展・普及させていったのか、そのメカニズムの解明に力を注いでいます。
では、土器は私たちに何を教えてくれるのでしょうか。一般の方にとっては、土器というと博物館のガラスケースの中にある遠い昔の遺物を思い浮かべるかもしれません。しかし、実は現代社会にも土器の子孫たちは数多く存在しています。たとえば、花瓶やお茶碗などの陶磁器はもちろん、洗面台のシンクや電柱に取り付けられている碍子(がいし)も広い意味では「焼き物」です。つまり、私たちの暮らしの中には、太古に生まれた土器文化が今もなお脈々と受け継がれているのです。
一方で、考古学者にとって土器の最大の魅力は、“時間を測るものさし”としての役割にあります。歴史学が文献をもとに過去を探るのに対し、考古学は遺跡や遺物というモノから人間の営みを再構築します。その際、土器は非常に優れた時代の指標となります。なぜなら、土器の形や作り方、模様にはその時代特有の流行があるからです。
たとえば、土器の素材となる粘土の種類や、そこに混ぜ込む鉱物や植物の繊維などの違いには地域性や時代性が反映されています。さらに、当時はろくろがなかったため、紐状にした粘土をまるで輪を積み重ねるように形を作っていましたが、その積み方や装飾の仕方にも時期ごとの特徴があります。焼成方法も多様で、酸素の量や温度によって色味や硬さが変わります。
それらの要素を細かく分析することで、考古学者はわずか数センチの土器片からでも、どの時代に作られたものかを百年単位の精度で推定できることがあります。まさに時間を読み解く職人芸といえるでしょう。
こうした中で近年、土器の起源に関する認識が大きく変化しています。かつては「土器は農耕社会の産物」と考えられていました。特にヨーロッパの研究者の間では、中東で農耕民によって発明された土器技術が西方へ拡散したとされてきました。これは粘土を焼くことで得られる硬質な器の利便性が、定住や文明の進展に寄与したとするストーリーです。
ところが、過去25年ほどの研究の進展によって、まったく異なる可能性が認識され始めました。それは、極東地域における狩猟採集民が、農耕とは無関係に独自の技術として土器を発明し、それが北ユーラシア全体へと広がっていったという可能性です。この見直しは、ヨーロッパを中心に構築されてきた歴史観に大きく再考を促すものであり、人類がたどってきた多様な軌跡を明らかにするものと言えます。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。
