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「きれいな物語」では複雑な現実はわからない
2026.01.28

研究の裏話「きれいな物語」では複雑な現実はわからない

リレーコラム
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教授陣によるリレーコラム/研究の裏話【6】

私の担当している明治大学情報セキュリティ研究室では、ネット不正検知技術や、情報戦の一種である「デジタル影響工作」に関わるAI技術の開発など、現実社会のサイバーリスクに対処する研究を幅広く行っています。日々の研究対象は、ニュースの見出しにもなるような社会課題と地続きにあります。

情報科学は自然科学の一分野ではありますが、他の理工系領域とは少し異なる性格をもっています。というのも、ラボの中で構築した理論やシステムが、そのまま現実社会で通用するとは限らないからです。とくに近年、研究の中心になりつつあるAI分野では、実験用のデータセットと実際の環境との間に大きなギャップが存在します。

たとえば、SNS上でbot(自動投稿プログラム)を検知するAIを開発する場合、まずはbotと人間ユーザーを分類したデータセットを作成する必要があります。しかし、これは容易ではありません。現実のSNS空間では人間の投稿もbotのように見えることがあります。あるいはbotであっても人間らしい言葉遣いを模倣していることも多い。結果として「きれいなデータセット」を用意することは非常に難しいのです。

このように、研究が思い通りに進まないことも多々あります。それでも私は、この“困難”を楽しんでいます。理論上の正解がすぐに見つかるわけではないリアルの中にこそ、研究の醍醐味があると感じるからです。

世の中では、とかく“銀の弾丸”すなわち万能の解決策を求める傾向があります。けれども、現実にはすべての問題に単純明快な答えがあるわけではありません。むしろ「答えを急ぐ」ことによって、思考の自由さを自ら狭めてしまうことがあります。

これは、私の研究テーマのひとつである世論誘導や情報工作の問題にも通じています。SNSやメディア空間では、「誰でもわかる単純な物語」や「多くの人が信じたい物語」が巧妙に設計され、拡散されやすい。人間は複雑な現実よりも、シンプルで感情に訴える説明に飛びつく傾向があるからです。だからこそ、これを悪用する仕組みが成立してしまうのです。

現実は、私たちが思う以上に多層的で、ときに矛盾をはらんでいます。研究も社会も「きれいな物語」だけでは理解できません。だからこそ面白く、だからこそ探究する価値がある。私はそう信じて、今日もラボで“答えの出ない問い”に向き合っています。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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