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2023.07.12

フランスの議会史から見えてくるもの

フランスの議会史から見えてくるもの
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フランスでは毎日のようにデモが行われるなど、フランスと日本では民主主義のあり方が大きく異なるように思えます。それでは、フランス議会史の研究からはどのようなものが見えてくるのでしょうか。

平穏ではなかった近現代フランスの歩み

谷口 良生 歴史学は、人類の過去の出来事を知るだけではなく、その出来事を素材に、自分たちがどのような歩みを経て、いま存在しているのかを考える学問です。その歩みをどのようにとらえるかということは、その行き着く先である私たちの世界をどうとらえるかということに影響を与えていますから、歴史を考えることはとても重要なことなのです。

 現在、私たちは、民主主義を至上の価値とする社会に生きていますが、そうした社会がどのようにつくられてきたかを考えるのが、私の研究分野であるフランス議会史です。

 議会とは、立法や社会の諸問題を合議する場であり、民主主義の根幹をなすものです。議会を中心とする政治システムである議会制は、ヨーロッパ各国で独自の歩みを経てきました。まずは、フランス近現代史を簡単にまとめてみましょう。

 フランスは、1789年にフランス革命が起こり、共和政が樹立され、1848年には国単位としては世界で最初に直接選挙での男子普通選挙を導入するなど、現代に繋がる民主主義を拓いてきた国であることを、皆さんも世界史などで学んでいると思います。

 フランス革命の大きなきっかけのひとつに、三部会が招集されたことをあげることができますが、これは聖職者、貴族、平民という当時の三つの身分の代表から構成される合議機関でした。

 これがすぐさま憲法制定国民議会となり、その名のとおり、1791年に憲法を制定しました。1792年には王位が廃され、第一共和政が始まります。

 しかし、革命が急進化していくなかで、第一共和政は多くの血を流すことになりました。最終的に革命を着陸させることになるのは、みなさんご存じのナポレオン・ボナパルトでした。彼が1804年に皇帝になることで、第一共和政は終わりを告げ、第一帝政がはじまります。

 第一帝政は、領土拡大を進めていきますが、最終的にイギリスをはじめとした他国に敗れることで崩壊し、1814年と1815年に王政復古がなされます。ここから1848年の二月革命まで、復古王政と七月王政という二つの、そしてフランス最後の王政が続きます。

 1848年の二月革命によって第二共和政が樹立されますが、1852年にナポレオン三世が皇帝に即位して、時代は第二帝政へと移りました。

 この帝政は1870年に普仏戦争の敗北によって崩壊し、そこから生まれたのが「議会政治の黄金期」とも呼ばれた第三共和政です。しかし、それもナチによる占領と対独協力政権であるヴィシー政府の成立によって1940年に幕を閉じます。

 戦後の1946年に第四共和政が始まりますが、その後、アルジェリアの反乱から始まった混乱の中、シャルル・ド・ゴールによるクーデタによって、大統領の権限を強化したかたちで成立したのが、現在も続く第五共和政です。

 このようにフランス近現代史とは頻繁な政体の交替によって特徴づけられますが、それは政治のあり方を模索し続けてきた歴史であるともいえます。政治のあり方はひとつの形が決まっているわけではなく、様々な捉え方ができます。そして、様々な異なる考え方を包容することで、強くもなれば、脆くもなるものです。それを考えるのが、民主主義社会になくてはならない市民である私たちです。

 こうした視点に立ちながら、さらにフランスの議会史を見ていくと、それは現代の私たちにも様々な示唆を与えてくれます。

英語版はこちら

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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