議員職の兼任も、民主主義の考え方のひとつ
フランスには、議員職の兼任という、世界でもほとんど類を見ない慣習があります。例えば、県議会や市議会などの議員を務めながら、同時に国会議員も務めることが認められてきたのです。それはなぜでしょうか。
議員職の兼任は、19世紀前半の七月王政期から徐々に見られるようになります。その背景のひとつには、産業革命に端を発する工業化の波がフランスにも訪れ、この時期に鉄道が敷かれていくようになったことがあります。つまり、鉄道で移動が容易になることで、パリと地方で議員職を兼任することが可能になったのです。
その後、19世紀後半の第二帝政期から第三共和政期にかけて、多くの国会議員たちが地方議会にも議席を同時に保持するようになっていきます。第三共和政期には、国会議員の6~7割が地方議会議員や市町村長などを兼任しており、多い場合では4つほどの職を兼ねていた議員もいました。
しかし、これはあくまで議員職の兼任が物質的に可能になったということに過ぎません。読者の方のなかには、このようにひとりの人間のもとに複数の議席が集まることは民主主義に反するのではないか、と思われた方もおられるでしょう。実際に、19世紀から、このような批判はよく聞かれます。それでも、議員職の兼任は、一部の例外を除いて、法的に禁じられることはありませんでした。
実は、19世紀のフランスには、議員職の兼任を民主主義に反するものととらえる意見と並んで、反対に民主主義の結果であるとする意見もあったのです。
当時の選挙は、現代のような立候補届出制ではありませんでした。つまり、理屈のうえでは有権者は誰の名前を書いてもよく、また実際にそのような票は少なからず記録されていました。
当時のフランスでは、このように有権者が自由に議員を選ぶことができることこそが民主主義である、という意見があったのです。そうであれば、議員職の兼任を防ぐために何らかの制限を設けることは、有権者の意思に制限を設けることになってしまうのです。このように考えると、議員職の兼任は民主主義のあらわれともいえます。
先に述べたように、当時の有権者は自分の好きな人に投票することができました。そうすると、例えば、町長などは町民に名前を知られているために投票されることもありました。その結果、地方の政治家であるために、その地域の有権者の票が集まり、国会議員に選ばれるということが起こります。
こうして、議員職の兼任はフランスの伝統になっていき、1985年に制定された公職兼任制限法まで、ほとんど制限されずに続いていくのです。
このように、フランスにおける議員職の兼任の歴史は、民主主義とは何であるかを私たちに考えさせてくれる格好の素材になるのです。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。