
人生のターニングポイント日本留学で噛み締めた、チャレンジの大切さ
教授陣によるリレーコラム/人生のターニングポイント【24】
私のターニングポイントは留学です。日本留学がなければ、映画の研究者になっていなかっただろうと思います。
オーストリアのウィーンに生まれて、地元の美術大学で学んでいた私は、最初はパリのソルボルン大学へ留学し、フランスの画家を研究していました。
しかし、そこで日本映画と出会いました。とくに魅了されたのが、成瀬巳喜男監督の作品です。それまで知っていた西洋の映画と全く違うことに、私は深く感動しました。
そして日本人の研究者の方から、成瀬を専門的に論じた本は、外国語はおろか日本語でもないと聞いて、ならば私が博士論文として書いてみようと思い立ちました。
そうして私は、奨学金を利用して日本の早稲田大学大学院へ留学するため、初めて日本を訪れたのです。1987年の春でした。
ところが日本で待っていたのは、激しいカルチャーショックでした。当時は今ほど日本に外国人がいなかったこともあって、住む家を借りるだけでも大変。ヨーロッパでの生活とは何から何までやり方が違って、様々な困難がありました。
なかでも大変だったのが言葉の問題です。私は日本語の読み書きがまったくできませんでした。知っている漢字は二つだけで、ひらがなすら怪しい。とにかく読める本がなくて、読み物に飢えていました。
一方、大学院では英語で話せば大丈夫だと考えていたのですが、私が教えていただいた先生は日本語オンリーでした。日本映画を研究するなら日本語の能力は不可欠、というわけです。そのプレッシャーで、私は必死で日本語を勉強しました。
実は、この日本語オンリーの先生はもともと英文学を専攻されていて、本当は英語がペラペラだった、ということは3年目で分かりました。山本喜久男先生、今でも心から感謝しています。
日本では、寂しくて、辛くて、泣いたこともあります。そんなときは、いつも自分に言い聞かせました。
「私はチャレンジが欲しかったんじゃなかったのか!? 生きて残るか、あきらめて家に帰るか……意地でも頑張れ!」と。
故郷や家族から遠く離れた地で、私は自分が誰なのか、どこまで一人でできるのか、試してみたかったのです。そして、それは本当に貴重な刺激になりました。
自らチャレンジできる環境に身を置くことは、かけがえのない経験だと思います。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。