Meiji.net

国際交渉を通じて考えた:現場の知見を政策へ
2025.03.26

人生のターニングポイント国際交渉を通じて考えた:現場の知見を政策へ

リレーコラム
  • Share

教授陣によるリレーコラム/人生のターニングポイント【107】

私のキャリアにおける大きな転機は、国際交渉の場に立った時、日本のアプローチに限界を感じたことでした。

私は20年以上にわたり、JICA(国際協力機構)や国連などで途上国の貧困解決にかかわってきました。日本は現場でのプロジェクトの実施に強みがあり、教育や保健の支援や、インフラ整備などの分野で高い実績を残してきました。実際、現地の人々の生活が改善されるのを目の当たりにし、この仕事には大きなやりがいがありました。

しかし、国連の日本政府代表部に一等書記官として赴任し、国際交渉の場に立つようになると、それまでの日本のアプローチに限界を痛感するようになりました。他国の代表は政策を通じて長期的な変革を目指し、全体像を明確に示しながら説得力のある議論を展開していました。一方で、私は現場の経験をもとに具体的な事例を紹介することが多く、より広い視野での議論ができていないと感じることが多かったのです。

こうした経験から、現場の知見を政策へと結びつけていく仕組みが必要だと思うようになりました、同時に、他国の代表は、政策について語ることはできても、現場で何が起きているかを必ずしも十分に理解していないという課題も見えてきました。逆に言えば、日本の強みである現場経験と、他国の政策立案の力を組み合わせれば、より良い政策研究ができるのではないかと考えるようになりました。それまでのように、短期的な成功事例を積み重ねるだけでなく、それを分析し、政策や社会全体の仕組みに反映させることが求められているのではないか——そんな思いを強くするようになったのです。

そんな折、私は国連の仕事でつながりのあった、ノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・スティグリッツ先生に相談しました。すると、コロンビア大学で先生が主宰する「シャドウG7」という研究会に招待していただきました。この会合では、研究者たちが現場の知見を深く理解した上で、それを分析し、政策提言へとつなげている様子を目の当たりにしました。私は「こうした取り組みを日本でも行うべきではないか」との思いを強くしました。

しかし、一会社員の立場で「研究機関をつくる」と言っても、それは単なる構想、あるいは夢に過ぎませんでした。そんな中、当時JICAの理事長だった緒方貞子さんがニューヨークに出張で来られた際、車の中で「研究機関が必要だと思っています」とお話ししたところ、緒方さんもまったく同じ考えを持たれていることを知りました。

ニューヨークから東京に戻った私は、緒方さんのリーダーシップのもと、JICA本部で多くの関係者の方々とともに、研究所設立に向けて奔走しました。さまざまな困難はありましたが、最終的に、JICA内に研究機関が設立され、自分自身も後に研究者として勤務することになりました。

この経験は、「実務者の実践知を政策につなげる」ことの重要性を、私自身にとって明確にする経験となりました。そして、それは現在の大学研究者としての仕事にもつながっています。

現場での仕事は、決して楽なものではありません。煩雑な業務に追われ、ときに無力感を抱くこともあります。しかし、その先に大きなビジョンを描けるかどうかが、仕事の本当の価値を生むのだと今では思います。一緒に奔走した関係者の方々とのやりとりを通じて、「仕事の意味」は外から与えられるものではなく、自分自身が見出すものなのだと実感しました。

現場で苦労しているからこそ、描ける夢がある。今ではそう確信しています。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

  • Share

あわせて読みたい