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「男らしさ」を過剰に意識するのは社会の問題でもある
2024.04.17

人生のターニングポイント「男らしさ」を過剰に意識するのは社会の問題でもある

リレーコラム
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教授陣によるリレーコラム/人生のターニングポイント【63】

私のターニングポイントは、20世紀初頭にアメリカの大統領だったセオドア・ローズヴェルトの研究を始めたことです。史料を検討するなかで生まれてきた問いをきっかけに、ジェンダー史研究者として歩むことになりました。

そもそも大学では外交史を専攻しており、修士論文はローズヴェルトの政治思想をテーマにしようと考えていました。ローズヴェルトは、日露戦争を調停したことで日本でも知られています。史料を調べていくうちに、彼の手紙や日記、演説などには、「男らしさ」への執着ともいうべきものが多々見受けられました。

彼は軍備拡張路線を取ったことでも有名な人ですが、とりわけ力を重視し、カウボーイの真似事をしたりボクシングに熱を入れたりと自らの「男らしさ」も強調し、「軟弱者には生きる資格がない」「男は武器を取って戦い、女は子供を産まなければ存在価値がない」といったことも述べています。それらが気になり、アメリカの女性史やジェンダー史の文献を多読。男性の歴史的なジェンダー分析の必要性を認識し、現在に至ります。

「男らしさ」へのこだわりを研究しようと考えたのは、自分自身が社会にある支配的な「男らしさ」を体現できなかったこと、それでも順応しようとする葛藤と違和感が心の中にあったからではないかと思います。他者から認められる優れた男にこそ価値がある、といったことは、明言されずとも教えられながら育つわけです。しかし当然ながらそれにうまく合致できない人間だって出てきます。そのためにある種の劣等感を植え付けられ、それを埋め合わせるために過剰に男性的なものを求め、女性差別的な言動が出てくるといった問題も起こり得るわけです。

自分自身、とくに十代の頃はそのギャップに悩み、過剰に意識する部分もありました。しかしジェンダーについて研究していくと、そう思わせる社会そのものに問題があるのではと考えられるようになります。この経験を通じて研究のための研究ではなく、研究を通じて自分の問題意識を追究するようになりました。研究は公的なことで、自身の悩みは私的なことですが、社会的にも意味のあるものへと昇華できれば研究テーマとなり得ます。

仕事と家庭のように公的なことと私的なことを厳格に分ける考え方は近代の産物ですが、両者の境界が揺らぐところに、新たな発見や可能性があるかもしれません。自分を駆り立てるもの、自分の存在を規定するものと徹底的に向き合い、ときに内面と対峙し、格闘し、乗り越えていくこと。自分の大切なものを突き詰めて考え、内発的な関心に向き合うことは、キャリア形成においても重要なのではないでしょうか。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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