
2023.03.23
明治大学の教授陣が社会のあらゆるテーマと向き合う、大学独自の情報発信サイト
考え方や価値観が変わるほどの出来事に遭遇したら、それは成長へのチャンス。明治大学の教授陣が体験した人生のターニングポイントから、暮らしや仕事を好転させるヒントを探ります。
1980年に、人権活動家であるアンドレイ・サハロフ博士が、ソビエト社会主義共和国連邦(以下、ソ連)政府によって閉鎖都市に流刑され、軟禁状態に置かれたことが、私のターニングポイントとなりました。
彼は優秀な物理学者で、ソ連の核爆弾開発の中心人物でしたが、後にその非人道性に気づき、ソ連内の人権運動に深くかかわっていき、平和・人権擁護運動家に転向した人です。
そして、1975 年に「ノーベル平和賞」を受賞しています。しかし、博士は、ソ連当局からまさに「平和の敵」と批判されたのです。彼は、真の平和を達成するためには、人権の尊重が不可欠だと主張し続けていました。
流刑の理由は、その前年の1979年に、ソ連によるアフガニスタン侵攻があり、博士が自国の軍事侵攻に対する批判をしたからでした。
当時大学生だった私は、博士の流刑のニュースに大きなショックを受けました。ソ連は、自国の政策を言葉で批判したというだけで、世界的な人権活動家の口を、強権的に塞いでしまうような国なのかと。
その事件をきっかけに、私の「ソ連の人権」に対する関心が高まりました。新聞や書物でソ連での人権擁護活動とそれに対する弾圧の歴史を調べたり、国際人権団体が主催するソ連の人権侵害に関する講演へ、積極的に足を運ぶようになったのです。
さらに自ら行動を起こすべく、人権擁護のサークルを大学で立ち上げました。
そこではこの活動に共感してくれた学生の仲間たちと、ソ連の人権関連ニュースを発信したり(当時はインターネットがない時代だったので、手刷りの冊子や葉書の形で)、講演会を開いたり、博士や弾圧されている人権活動家たちへの支援を請願する手紙を各所へ出したりしました。
そんな活動を続ける中で垣間見えたのは、サハロフ博士に代表される、ソ連の人権活動家の「非暴力を貫き通す」姿勢、「国民に寛容な政治を目指し続ける」強い意志と、そして何よりも「言いたいことを言える」社会にするために発言する勇気です。
私は、彼らの人権活動の態度と哲学に感銘を受けました。それが、私の研究テーマである「平和と人権」につながっているのです。
そして、現在のロシアでは反戦運動をしたり、政府を批判する人々が次々と罰せられています。このようななかで2023年1月末には、博士が深く関わった、ロシアで最も歴史のある人権団体「モスクワ・ヘルシンキ・グループ」も解散命令を受けました。
今でも人権問題は、言論弾圧だけでなく、様々な形で世界に存在しています。あなたの身近で行われているビジネスが、サプライチェーンの途中で、賃金の搾取や子供の労働などの問題を起こしているかも知れません。私たちは常に、人権問題に意識を向けていなければなりません。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。