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2025.02.20

ジェンダー、アイデンティティ、SDGs…ファッションを通して考える現代社会

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あらゆる条件を越境し、なりたい“わたし”になるための装置がファッション

 従来、ファッションは、自分の富や階級を誇示するためのものでした。それに加え、異性にとって魅力的な自分を演出する手段でもあったのです。アメリカのファッション雑誌『VOGUE』が1940年代に発行した号には、「男性の視線のためのファッション」といった文言が表紙で謳われていました。今の学生に見せるととても驚いていましたが、異性の目を意識して服装を選ぶことが当然のように書かれる時代もあったのです。

 近代における男性中心の考え方では、男性と女性という二項対立の構図で物事が捉えられていました。ファッションにおいてもマスメディアによって一つのスタイルの流行が示され、この属性であれば、こういったファッションを着るべきだといった「当たり前」が少なからず形成されていたといえます。

 しかし21世紀になると、SNSやさまざまなデジタルメディアから物事が動き、つくられ、情報が流れていくなかで、ファッションは二項対立を超えていくものも生まれていきます。恋愛や結婚の形態も多様になってきています。男女が恋愛して結婚して出産して…というかつての「当たり前」は失われ、もっと自由な性自認や性嗜好、関係性が尊重されるようになっています。

 ファッションはいわば、「自分の身体を規定するあらゆる条件を越境し、なりたい自分になるための装置」とも表現できます。なりたい“わたし”らしさを、とてもわかりやすく見せられるものがファッションなのです。

 たとえば今の自分が50代後半の日本人女性でこういう体型で…という条件があるとしても、広い意味でのファッションを身につけることで、その自分の枠を超えることも可能です。カジュアルな格好をすることで、若く見せようとすることだってできます。外国人に憧れ、髪色を変え目の色を変えるためにカラーコンタクトを着けることもファッションの一部です。どんなジェンダーや年齢、国籍にも見せようとできるわけです。

 デジタルメディアが主流となった現代、好きな身体はいくらでもつくれます。オンラインゲームなどのバーチャル空間に限らず、SNS上でも画像を加工すればいくらでも、なりたい“わたし”になれる状況です。コロナ禍を受けて、バーチャルファッションのギアが一段階、上がったようにも感じます。対面しなければいくらでも装えるとなれば、欲望の歯止めも効かなくなっていくでしょう。

 しかし結局は、今の“わたし”を超えて自由になるためにというよりは、自分がなりたいモデルがすでに決まっており、そこに近づけようとするために、ファッションは活用されています。自分らしくいたいという意識は、自分のなりたい規範にはまりたいという意識と、ほぼ同義であるケースが多いのかもしれません。

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※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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