プロ俳優を使わない〈ドキュメンタリー演劇〉の実践
こうした当事者や、当事者に近い人たちが演じる演劇は、言うなれば〈彼らを演じる〉演劇ではなく〈彼らが演じる〉演劇と呼ぶことができるでしょう。その実践は、娯楽として消費される〈作品としての演劇〉ではない、現実世界の変革を目指す〈手段としての演劇〉です。
実は、プロ俳優を使わない演劇実践は古くからあり、第二次世界大戦前の日本とドイツにおいては、たとえば労働者革命を目指す人々が実践していました。労働者たち自身が演じ手となり、労働者階級の生活や問題をそのまま受け手の前で表現する〈労働者演劇〉がそれです。
労働者演劇は、既存の劇場だけではなく、しばしば彼・彼女たちの生活の場で行われました。演技する内容や役柄も、演じる本人そのものであることも多く、徹底的にリアリティを追求した実践でした。また、観客の多くも労働者だったため、演劇を通じ、働くその人個人が抱えている問題が共有され、共感や連帯のうねりが生まれる場となってきました。
現代の移民・難民をテーマにした〈彼らが演じる〉演劇もまた、この労働者演劇の系譜に連なるものであると私は考えています。ドイツには演劇関連のメディアが多くありますが、移民や難民に関する議論は頻繁に取り上げられており、プロ俳優を起用したものも含め、それらをテーマにした作品が賞を受賞することも珍しくありません。
近年で話題になったものとしては、たとえばヤエル・ロネンという劇作家の作品が挙げられます。ロネンはイスラエル出身で、彼女のある作品ではユダヤ系ドイツ人が登場し、アラブ系やトルコ系のドイツ人とどのように交流し、対立し、あるいは世代間でどのような摩擦が生じているのかが描かれます。特に興味深いのは、こうした作品で、実際にユダヤ系、アラブ系、トルコ系の俳優が出演している点です。
そのため、作品のフィクションの要素と出演者の実際の背景が重なり合い、俳優たちも自身の〈シビアな出自〉を引き受けて演じるという、非常にリアリティのある作品の制作が行われています。なお、こうした演劇の言語は、場合によってはマルチリンガルになります。複数の言語での会話が行われたり、字幕も複数言語で構成されたりします。
このような、日常の現実の再発見や再認識を促す演劇の実践は、〈ドキュメンタリー演劇〉と呼ばれることがしばしばあります。
近年の〈ドキュメンタリー演劇〉の旗手としては、演出家集団のリミニ・プロトコルが挙げられます。彼らはしばしば、制作する作品のテーマに即して、舞台に出演した経験のない人々を舞台にあげます。彼・彼女たちはプロ俳優ではありません。しかし、それぞれにユニークな生業を持つ「日常のエキスパート」として起用するのです。
その演劇には、経営コンサルタント、トラックドライバー、特別養護施設の居住者といった人々が出演しますが、彼・彼女らはみな現実にその肩書で生きている人々です。実は私もまた、リミニ・プロトコルの来日公演の際に成り行きでリクルートされ、私の仕事のひとつである〈通訳者〉として出演したことがあります。そこでは、出演者たちの自らの経験が舞台の上で語られ、さながらライブで展開されるドキュメンタリー映画を観ているかのようでした。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。