
「演劇」と聞いて何をイメージするでしょうか?現実を忘れさせてくれる煌びやかな衣装、踊りと歌で楽しませてくれるエンターテインメント。もちろん、それも演劇のひとつですが、日常を描きながら、現実世界の見方を変えてくれる演劇も存在します。そのひとつが、他者である〈彼らを演じる〉のではなく、当事者本人が舞台にあがって現実を伝える、〈彼らが演じる〉演劇です。
移民・難民をテーマにしたドイツの現代演劇
私は演劇学を研究分野としていますが、演劇研究と一言で言っても、そのアプローチは様々です。大きく分けると二つの方向性があります。ひとつは演劇の〈テキスト〉すなわち戯曲を分析する文学的な研究です。もうひとつは、そのテキストが舞台でどのように表現されるか、つまり〈演出〉に焦点を当てる研究です。
前者の演劇は主に劇作家の仕事であり、後者のそれは演出家の仕事といえます。私は、後者の研究を専門としており、自分の研究の出発点であった、ブレヒトを筆頭とする20世紀前半のドイツ演劇に関するものから、国内外の現代演劇まで、舞台上で何がどのように展開されているかということに関心を持っています。
さて、多くの方は「演劇」と聞くと、非日常的な世界が描かれるフィクションを思い浮かべるのではないでしょうか。たしかに、歌や踊りの場面が豊かで、日常的な現実を忘れさせてくれるような演劇も多数あります。
一方で演劇には、現実の再発見や再確認を促すものも存在します。たとえば、グローバル化を受けて、日本でもドイツでも、その国以外の国籍の人々が増えていますが、この現状を念頭に置いた多文化共生を目的とする演劇実践は、現代の演劇界でひとつのムーブメントになっています。
そのひとつが、移民や難民あるいはその2世・3世の人々をテーマに据えた演劇です。現在のウクライナやパレスチナで見られるように、戦争は多くの難民を生み出し、人々は周辺国への避難・移住を余儀なくされます。
とりわけ第二次世界大戦後のドイツは、移民の受け入れと密接に関わってきました。東西分裂時の西ドイツは、トルコやギリシャといった国外から労働力を受け入れることで戦後復興を果たしています。「Gastarbeiter」と呼ばれた外国人労働者の中には、家族とともにドイツに定着した人々もおり、現在ではその第三世代が社会の現役世代となっています。近年では、テレビのコメンテーターや同国代表のサッカー選手にも、移民のルーツを持つ人々が多く見られるようになりました。
そのドイツでは、ウクライナ戦争以前だと、2015年のシリア内戦による難民流入が大きな社会問題となりました。当時のメルケル首相はシリア難民の受け入れを積極的に進めましたが、この政策は国内に軋轢を生み、難民排斥を掲げる極右政党が勢力を伸ばすきっかけともなってしまいました。その傾向は特に旧東ドイツ地域で顕著です。
そうした社会的分断の状況を抱える中で、ドイツの演劇界では現在、ドイツで暮らしている移民・難民の人々をキータームとした演劇実践が積極的に行われています。
たとえば、移民2世・3世のプロ俳優が、彼・彼女らの祖父母らに話を聞いて、それを演劇の中で伝えるというようなアプローチが行われています。さらには、プロの俳優ではない移民の当事者や移民にルーツを持つ人々が舞台に上がり、直接、自身の過去や家族の歴史を語るという形式も増えてきています。
マジョリティであるドイツ人の中には、移民の人々と普段接点のない人も少なくありません。舞台を通じてその日常や課題を知るという演劇は、いわば彼らを〈新しい隣人〉として認識し直す機会となっているのです。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。