コロナ禍で見えにくくなった国と自治体の役割分担
では、地方分権推進にともなう法制度改革以降、地方自治の体制が一気に拡充したのかというと、そうとも言えない面があります。
それが顕著に現れたのが、2020年に始まったコロナ・ウイルスによるパンデミックです。その対策や政策実施をめぐって、国と自治体の間で齟齬が生じ、地域社会に混乱が生じるような状況が多々ありました。
例えば、国は、全国民のワクチン接種を目指しました。しかし、国民ひとりひとりにワクチン接種券を送付し、接種を徹底するということを国はできません。住民票を管理しているのは自治体だからです。
そこで、国は自治体に指示を出します。ワクチン接種は「法定受託事務」という事務区分になっていて、国は基礎的自治体である市町村に業務を受託してもらうことになります。そこで、市区町村などは住民に接種券を送付し、接種場所の確保・手配をし、接種予約を取り、その期間に必要なワクチン量などを決めていきます。
ところが、接種が始まった初期には、依頼したワクチンの数が現場に届かないなどのトラブルが起き、接種に遅れが出ました。接種できなかった住民に対しては、自治体が謝罪する場面も見られました。
一方、国は、接種遅れの対策として大規模接種会場を設置すると同時に、職域接種なども進めて対策を加速しようとします。その結果、確かに、国民のワクチン接種率は向上しましたが、今度は、自治体側で住民の接種の有無を確認できない状況が生まれ、ワクチンの不足が生じる一方で、後にはワクチンを破棄する無駄も生じました。
こうした混乱はなぜ生じたのか。実は、法定受託事務は、国と自治体とが上下の指揮監督関係にあった機関委託事務の廃止にともなって新設され、対等の行政主体関係にあるはずの両者の関係を前提に進められる業務体制のはずなのです。しかし、今回は、国側はワクチンの管理、配送などに遺漏があったかもしれないのに、その責任を明確にしませんでした。
これは、パンデミックのような非常事態だから、やむを得ない措置だったのか。もちろん、そういった側面もあると思います。また、自衛隊の活躍によるワクチン接種は、国民にとって有益であったと思います。しかし、その反面、国側に指揮監督による上下関係の意識があったために、こうした混乱や無駄が生じた面もあると思います。
つまり、戦後の民主化や、90年代以降の地方分権の推進にもかかわらず、国には地方自治体を対等の行政主体者として連携するという意識が浸透していないのではないかという気がいたします。むしろ非常事態だからこそ、自治体の役割が求められるとは考えられないでしょうか。
例えば、国は、飲食業者などに対する休業要請を出しました。しかし、地域の実情から考えると、その協力金の金額では不十分であるとする自治体のなかには、独自の支援金などを設定したところがあります。それは、全国一律でコロナ対策を考える国と、地域の実情に合わせて、より住民目線の対策を講じようとする自治体の役割の違いに基づく対応とも言えます。
つまり、非常事態だからこそ、国の指示を待ち、指示通りに動くだけでは、自治体としての本来の役割は果たせないことが、実際に多かったのです。例えば、国からの協力金や給付金などが決まれば、その金額を立て替えて、ただちに給付を実施した自治体があります。それは、国のような大きな組織では事務手続きや準備に時間がかかり、給付に時間がかかるからです。
しかし、この月末に現金がなくては困るという店舗や中小企業などにとっては、翌月の給付では、もう遅いのです。すなわち、国の施策を、本当に住民ニーズに応えられるものとして補完・実施するのが自治体なのです。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。