私たちひとりひとりが地方自治への関心をもつことが大切
一方で、自治体にも、国の指示を待ち、指示通りに動けば良いという意識が強い側面も残っています。それは、戦前までの「指示待ち」体制の意識から抜け出さない上に、指示を待って取り組む方が楽だからでしょう。実は、そのような「居眠り自治体」も少なくないのです。
そのような自治体を変えるきっかけのひとつは、自治体議会の活性化による「地域政治」への注目が必要ではないかと思っています。しかし、その反面で、近年、多くの地方議会で議員のなり手不足が問題となっています。背景には、自治体政治は、戦前からの流れで、その地方の名望家とその取り巻きが取り仕切るような実態があったため、地域住民の信頼も関心も薄れていたことがあります。
そのため、近年では、自治体議会不要論も飛び出し、議員に高い報酬を出す必要はないという声も高まって、そうした有権者の声に応えるように議員報酬はじりじりと引き下げられていきました。議員の定数も同様です。
すると、議員になっても思うような活動ができず、報酬も低いので議員になると生活が成り立たないような状況に陥ります。
そのため、選挙があっても、いつも同じような顔ぶれで、しかも、住民の期待に応えるような活動はほとんどできないことも多く、また住民の議会への信頼は低下し、なり手も減るという負のスパイラルに陥っているのです。
では、本当に自治体議会は存在する意義がないのかと言えば、当然、そのようなことはありません。まず、議員は住民の代表です。様々な地域から、様々な年齢、ジェンダー、職業の人たちが集まることで、議会は多様な意見を政治に反映し、地域のための活発な政策議論も可能になるわけです。
また、地方分権が進むことで、相対的に自治体行政の力が強くなるので、行政の力、そして行政のトップである首長の権力が強くなることに繋がります。そうした自治体行政や首長の活動をチェックし、住民の代表として統制するのは議会の役割なのです。
日本の首相は、実質的に国会の多数派から選ばれますが、自治体議会は二元的代表制なので、首長と議会が活発な議論や活動を行うことで双方が牽制しあうのが当然です。それによって、地方自治が活性化し、地域社会を良い方向へ向ける政策が立案されるはずなのです。
その意味では、政治家を志す人たちばかりではなく、住民の皆さんも議会制民主主義のあり方への理解を深め、地方自治に対する関心を高めることが大切だと思います。さらに、それが、地域行政への住民参加に繋がっていけば、議会の活性化も進むでしょう。
それらによって、自治体行政が国と対等の行政主体として、国と役割分担をすることへの理解を広め、ひいては国の行政も国民のニーズや期待に効率的に、また的確に応え、国民がより豊かに生きられる社会を構築していくことに繋がっていくことになると思います。
市役所なのに、なぜ、省庁の指示に従わないのか。市長なのに、なぜ、国会議員の指示に従わないのか、といった法令への無理解、無知による時代錯誤的な意識や、逆に、国からの指示待ち意識などを払拭していく最初の一歩は、住民ひとりひとりの地方自治への関心が高まることと政治への参加意識の醸成が必要なのです。
明治大学の校訓のひとつに独立自治があります。自治は、自らで治める、自己決定・自己責任を意味することですから、民主主義の基盤を醸成するには不可欠なものです。そして、その自治を実践するのは、私たちひとりひとりの市民であることを忘れてはならないと思います。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。