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2022.01.28

風景が変貌することの意味を考えてみよう

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風景を対象化することで、風景の意味が見えてくる

 私は地理学者なので、その地域のもともとの文脈というか、地域性がずっと繋がっていくことを期待します。しかし、資本主義の構造の中で、それは難しいことであるとも思います。

 例えば、地方都市でも、衰退商店街の端や隅で若者が店舗を出し、それが人の流れや交流を生み、地域の住民による活性化にも繋がっていくことがあります。しかし、そうなると、外部の資本などが目をつけ、入り込んでくるケースも多いのです。

 一方で、以前から「谷根千」での活動が関心を集めています。これは、都内の谷中、根津、千駄木という下町の風情を残すエリアを見直す動きです。

 それは、大資本によって街の非商業空間が消費空間化し、それによって街の風景が一変する、資本主義による「風景の支配」に対して、風景を守りたいと考える人が増えてきたということなのかもしれません。

 それは、排除や消し去ることへの抵抗であり、また、多様性や持続化に繋がっていくことなのかもしれません。

 例えば、皆さんは、身の回りの風景を対象化して見たことはあるでしょうか。毎日見る何気ない風景も、対象化すると、そこに意外な良さや、他にはない特徴があることがわかります。

 すると、身の回りの風景を見ることの楽しさ、面白さを感じるようになります。実は、風景は、それが一変すると、以前の風景を完全に忘れてしまい、思い出せなくなるものです。例えば、もう、以前の宮下公園を思い出せる人は少ないのではないでしょうか。

 それは、私たちの身の回りでも起こることです。それが、風景の怖さであり、また、逆に、面白さでもあると思います。

 風景を対象化して見ることによって深まる風景への理解を基に、それが変わることの意味を考えてみるのも良いのではないでしょうか。


英語版はこちら

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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