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2019.07.10

男か女かハッキリしたがる/させたがる不思議

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性的マイノリティがいるから性は多様なのではない

 確かに、周囲の子たちも悪気があって揶揄しているのではないかもしれません。しかし、そうであればなおさら、その子たちにちゃんと問いかけてあげることの方が大切でしょう。

 社会を変えていくために教育が果たす役割は大きいと思います。すでに、様々に工夫した授業を実践している現場の先生たちもいます。教育の成果は一朝一夕に現れるものではないかもしれませんが、多様性と向き合う教育の積み重ねは、とても重要です。

 学校教育にかかわらず、次世代を担う子どもたちをしっかり教育していくためには、社会人である私たちが、自分自身を見つめ直していくことも必要だと思います。

 例えば、職場で、自分では場を盛り上げるつもりで言っていたことが性差別発言だった、という経験があなたにもあるかもしれません。指摘されないと気が付かないですし、指摘されても、つい言い訳をしたくなるということもありますね。加害者だと指摘されるのは辛いですから。でも、こういうテーマを研究している私が、完璧な言動をできているかというと、その自信はありません。そこで開きなおらず、自分の言動をふり返ることが必要なのだと思っています。

 自分の偏見に気がつくことは辛いことばかりでもありません。自己の偏りに直面化することで、自己発見や自己変化の面白さもまたあります。他者を傷つけないために学ぶという動機も大切ですが、新たな視点を得るために学ぶという動機も大切にできるとよいなと思います。

 LGBTと聞くと、どこか遠いことのように感じてしまう人もいるかもしれませんが、よくよく考えはじめると、これまで何も疑いを持たずに男だの女だのと分けていたこと自体が不思議なことだと理解されるようになります。

 自分が男性であることに疑いを持ったことのない方は、是非ふり返ってみてください。憧れる男性の上司や先輩はいませんか。何が自分の中の男らしさなのか不思議だなと思ったことはありませんか。「少しのズレもなく男」という状態は、かなりフィクションめいた状態です。

 自分自身の性のあり方を掘り下げていくと、自分の中の多様性に気が付けて、自分の内面の豊かさを実感することができますし、周りの人の多様性もまた、共感的に受け止めることができるようになるのではないでしょうか。

 性的マイノリティがいるから多様な性があるということではなく、性的にマジョリティだと自覚する人たちが、そもそも皆ひとりひとり異なる性のあり方を持っているのです。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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