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公正さという文化的世界観と格差の合理化

脇本竜太郎専任講師専任講師 最近関心をもっているのが、公正さに関わる問題です。文化的世界観には様々な価値基準が含まれていますが、「公正さ」はその中でも重要なものの1つだと考えられます。したがって、存在論的恐怖は公正な社会の実現に向けた動きを生じさせてもよいはずです。それにもかかわらず、生活保護バッシングや古典的な性役割観の押し付けといった、不公正な状態を作り出したり維持したりしてしまうような考えに賛同してしまう人がいるのは、その人達が不公正な状態を合理化しているからだと考えられます。
 そのような合理化としてまず考えられるのは、「一見格差のように見えても、それは個々人が自分に相応しいものを受け取っているだけだ」という考え方です。例えば、「格差は本人の努力の違いによって生じているものだ」という言説がこれにあたります。要は、不利な立場にある側に責任を押し付ける形の合理化です。このような自己責任論による合理化は,格差の問題を矮小化し、格差に影響する環境側の要因を無視している点で問題です。
 上記のような合理化は直接的であからさまなので、人々の注目や批判を浴びやすく、社会的に監視し、対策を講じることも可能でしょう。一方、近年社会心理学領域ではより隠微でそれとわかりにくいような合理化について検討が行われています。それは、「相補的認知」による合理化です。相補的認知とはある側面で劣っていても他の側面で優位性があるという形でバランスをとるような考え方を指します。例えば「経済的に貧しい人は精神的には豊か」「女性は男性よりも論理的に考えるのが苦手だが、対人的配慮は得意だ」というのがその例です。相補的認知には肯定的内容が含まれており、そのことが否定的内容の認知をすることを正当化してしまいます。さらに、相補的認知は一種のバランスが成り立っているという信念を導き、社会が公正であるという幻想を与えてしまい、格差を是正しようという動機付けを低下させることが示されています。
 このような格差の合理化は、有利な立場にある人だけでなく、不利な立場にある人々によっても行われます。自分が正当でない理由で不利な立場に置かれていると考えると、公正さという文化的世界観が損なわれることになってしまいます。先に述べた通り、文化的世界観は人間を恐怖から守ってくれる性質を持つので、損なわれては困ります。そのため、不利な立場に置かれている人は、格差を合理化して主観的に世界が公正であるという信念を維持する代わりに、不利な立場を甘受してしまうのです。一方、格差の合理化は、優位な立場にある人にとっては上記のように世界が公正だという信念を維持してくれるばかりでなく、自分達の優越性を確認し、自尊感情をもたらしてくれる都合の良いものです。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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