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2018.07.11

民主主義と軍事主義。果たして共存は可能か?

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日本型文民統制の「文官統制」もなし崩しに

 こうした議論のなかで私は、「civilian control」というわかりにくい表現ではなく、「civilian supremacy」、すなわち「文民優越」という言葉の方が的確だと訴えてきました。民主主義が軍事主義より優越しているとする考えを徹底するために、軍事主義は民主主義に文句なく絶対に服従しなければならない、という考えです。なぜなら、民主主義の基本原理である自由・自治・自律と、軍事主義の基本原理である動員・統制・管理とは、言うならば水と油の関係です。両者は決して融合するものではありませんから。少なくとも戦後日本人は、民主主義を基本原理とする社会を創ることで、国際社会で信用され、尊敬もされる国家を再建することを誓ったのです。その意味から軍事主義の考え方に共鳴することを慎んできたはずです。それで依然として厳しい国際社会のなかで、国家防衛のためには最低限の実力組織を自衛隊として保持しようとするならば、民主主義を傷つけないで済むように文民統制のシステムを機能させていかなければならない、ということなのです。民主主義を守るためにも、文民統制を機能不全に追いやってはなりません。私が長年文民統制の問題に取り組んできたのは、逞しい民主主義を育んでいくためなのです。

 中国(234万人)、アメリカ(140万人)、インド(133万人)、ロシア(70万人)のような膨大な軍人を抱える軍事国家は別として、旧ソ連の脅威から解放されたフランス(21万人)、ドイツ(18万人)、イギリス (15万人)など、兵員数の削減(軍縮)に真剣に取り組んでいるヨーロッパの先進諸国と異なり、日本は現在25万人の自衛官を擁しています。中国や北朝鮮の脅威を理由にして、自衛官も防衛費も増加の一途を辿っています。同時に自衛隊組織の権限強化も非常に進んでいます。

 そのような中で、自衛隊組織が戦前の軍部のようにクーデターなどで政治に介入してくる恐れは、民主主義国家日本では限りなくゼロに近いと信じています。しかし、今日にあって憲法に自衛隊を明記しようとする動きなども併せて考えると、やはり文民統制を充分に機能させておかなければならないと思います。今の自衛隊が軽々に不穏な動きに出ることはないとしても、かつての自衛隊には、クーデター未遂事件とも言える「三無事件」(1961年)、「三矢事件」(1963年)、「三島事件」(1970年)の事例がありました。奇しくも頭に「三」が付くこれらの事件は、自衛隊組織が主導した訳ではありませんでしたが、ただ、東京オリンピック(1964年)の前年に起きた「三矢事件」の場合には、現役の自衛隊制服組の高級幹部が関わっており、国民に大きな衝撃を与えました。それは第二次朝鮮戦争の勃発を想定して戦後版の国家総動員法を国会で決議するよう自衛隊の部隊が国会を包囲し、圧力をかけようと計画したものでした。それは戦前の五・一五事件(1932年)やニ・二六事件(1936年)を想起させるものでした。

 実は私は三島事件発生の折に明治大学文学部の学生で、御茶ノ水校舎におりました。市ヶ谷駅近くの陸上自衛隊東部方面総監部(戦前の陸軍省、現在は防衛省の所在地)で起きた事件です。世界的に著名な作家である三島由紀夫をリーダーとする楯の会が、天皇親政国家の樹立を目標として自衛隊にクーデターを促した演説を行った後、三島は割腹して果てたのです。私は、この事件に大変な衝撃を受けたことを昨日のことのように鮮烈に記憶しています。私がクーデター事件史や政軍関係史に関心を抱いた契機ともなったのが、この事件でした。それ以来、私は軍事組織を民主主義が統制する有効な方法は何かをずっと考えてきたように思います。その時から思っていたのは、この優れた世界的作家である三島を自決に追いやったのは、少々奇妙な言い方なのですが、文民統制の形骸化ではなかったのかと。文民統制がしっかり機能し、自衛隊内に三島的軍事主義に傾倒する人たちが少なかったならば、三島は自衛隊に蹶起を呼び掛けることはなかったと思いたいのです。実際、三島に傾倒する自衛官や関係者が少なくなかったのです。

 現在の日本では私に言わせれば、暴走とも言える事態が起きています。2015年9月に可決された防衛省設置法改正(第12条)の目的は、防衛大臣の補佐として、いわゆる背広組(文民)の官房長や局長と、制服組(軍人)の各幕僚長らを同格とすることでした。本来は、官房長や局長の下に各幕僚長が位置づけられていて、それが、日本の文民統制の根拠といわれていました。日本の憲法にも法律にも、文民統制に関する条項はありません。それは、すでに述べた通り、日本国憲法は一切の戦力を保持しないことを宣言しており、軍事組織なるものは想定されていないからです。これが、日本国民が文民統制に少し無頓着なもうひとつの理由にもなっていると思います。代わって、防衛官僚が統制を行ってきたのが実状です。つまり、文民統制ではなく、「文官統制」だったわけです。ところが、それもなし崩しにされてきたのです。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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