裁判員の守秘義務は重すぎる
もともと、裁判員制度が導入されたのは、司法改革のための3つの柱のひとつとして、国民の司法参加の拡充を図ることにありました。裁判員法の第一条では、国民の中から選任された裁判員が刑事裁判の手続きに関与することは、司法に対する国民の理解の増進と信頼の向上に資する、という趣旨が記されています。確かに裁判員を経験した人にとっては、貴重な経験であり、司法に対する理解の増進につながったかもしれません。しかし、裁判員を経験した人から、その経験談を聞いたことがある人はいるでしょうか。おそらく、ほとんどいないのではないかと思います。それは、裁判員には守秘義務が課せられるからです。そのため、裁判員経験者は裁判について一言も話してはいけないし、周囲の人も聞いてはいけないと思いがちです。ところが、裁判員の守秘義務とされているのは、評議の秘密と、評議以外の職務上知った秘密です。つまり、評議がどのような過程を経て結論に達したのか、裁判員や裁判官がどのような意見を述べたのか、評決の多数決の数、そして、被害者など事件関係者のプライバシー、ほかの裁判員の名前、これらは漏らしてはいけないことになっています。しかし、公開の法廷で見聞きしたことは、守秘義務に含まれていません。つまり、証人尋問の内容であるとか、判決の内容、また、裁判員としての職務を行った経験や感想を述べることは、何ら問題ないのです。実は、裁判員に選ばれるのは、ごく大掴みに言うと、全国の有権者約1億人のうち年間1万人程度の人に過ぎないのです。このようにわずかともいえる裁判員経験者が、その経験のすべてを秘密にしていては、司法に対する国民の理解の増進を図るという裁判員制度の意義にかなうとはいえません。むしろ、裁判員経験者には、自らの経験談や感想を周囲の人たちに語ってもらうことの方が、裁判員制度の意義に沿った形だともいえるのです。
もちろん、裁判員を務めた人たちに、守秘義務についての説明は行われているはずです。話しても問題ないことについての説明もあるでしょう。しかし、守秘義務という言葉で説明されては、一般の市民にとってはかなり重く感じるはずです。まして、それは一生続くのです。その負担感を低減する方策を考えるべきでしょう。例えば、守秘義務を課す期間を、5年とか10年に区切っても良いのではないかという議論があります。さらに、評議の内容や経過についても、もっと自由に意見感想が言えるようになれば、国民の司法に対する意識も、理解も変わってくるのではないかと思われます。それは、裁判員を務めることに対する抵抗感を和らげることにもつながるはずです。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。