2024.03.21
少子化対策に最も有効なのは男女共同参画社会の形成
安藏 伸治 明治大学 名誉教授(元政治経済学部教授)(元明治大学付属明治高等学校・明治中学校 校長)(2023年3月退任)出生率の推移とその要因
日本の女性は子どもを産むのが嫌になっているのでしょうか。いえ、決してそんなことはないと思います。表1は、有配偶女性の年齢別出生率です。これを見ると、2010年の20歳代の女性の出生率は、出生率が人口置換水準以上にあった1970年以前と比べて大差ありません。30歳代の出生率にいたっては、1960年以降では最高を記録しています。つまり、結婚した女性は子どもを産んでいるのです。同じく2010年に、夫婦に子どもの予定を尋ねた調査(国立社会保障・人口問題研究所の「出生動向基本調査」)では、平均2.07人という回答が得られています。1977年に行っている同様の調査の結果が2.17人ですから、日本の夫婦は、欲しいと思う子どもの人数もほとんど変わっていないということになります。では、なぜ少子化が進んでいるのでしょう。
グラフ2は、年度別、年齢別出生率の推移を表したものです。曲線の山が最も大きい1930年は、出生率が4.7ありました。この頃の日本の女性は一生のうちに5人ほどの子どもを産んでいたわけです。年齢別でみると、24~26歳が出産のピークで、閉経に近づく50歳前まで出産しています。1950年になると、出産のピークは26歳頃で1930年とほぼ同じですが、高齢での出産が減少します。これは、子どもは少なく産んで大事に育てようという産児制限の考え方の影響です。子どもは2人という二子規範が広まり、第3子を人工妊娠中絶することが多くなったのです。1970年になると、出産年齢のピークは変わりませんが、30歳以降の出産が大きく減少します。これは、コンドームなどの避妊具が普及し、夫婦が計画的に出産をコントロールするようになったためです。この頃の出生率が2.13で、人口置換水準でした。
1990年になると、グラフ曲線は一変します。出産のピークは28歳頃になり、曲線の山全体も非常に小さくなります。この時代には大きな社会変化がありました。まず1973年にオイルショックがあり、「重厚長大」型産業に陰りが出始め、「軽薄短小」型のハイテク産業やサービス産業に産業構造が移行し始めたことです。これにより女性の就労機会が増え、1986年に男女雇用機会均等法が施行され、さらに女性の社会進出が進みました。また、女性の大学進学など高学歴化が急激に上昇したのもこの時期です。1980年代後半にはバブル経済が到来し、大企業による新卒者の大量採用や、大幅な賃金の上昇が起こりました。こうした社会背景のもと、未婚化、晩婚化、非婚化が大きく進行したのです。
そして2000年になると、20歳代での出産はさらに減り、30歳代での出産がなだらかな減少曲線ではなくなりました。2010年になると、出産のピークは30歳前後まで下がり、晩産化の傾向が顕著になってきます。
こうして分析してみると、女性の高学歴化と社会進出にともない晩婚化、未婚化が進行し、それとともに晩産化が進んだことがわかります。また、男性の稼得能力の相対的低下があり、結婚が男女とも遅くなっているのです。その結果、第1子出生時の女性の平均年齢は、1975年は25.7歳でしたが年々上昇し、2011年に30.1歳となり、さらに上昇は続き、2014年には30.6歳になっています(厚生労働省大臣官房統計情報部人口動態・保健社会統計課編2015年「平成26年 人口動態統計月報年計(概数)の概況」)。一般に、女性は37歳くらいになると自然妊娠が次第に減少し始めます。第1子を産むのが31歳くらいであると、第2子、第3子を産むのは大変です。出生率が2.13であった1970年との大きな違いが、ここにあります。