数理科学によって考古学のロマンが広がる
ここ10年ほどは、旧石器時代の遺跡を調査する考古学チームと共同研究も行っています。
特にレバントをはじめとする中東地域は、アフリカで生まれた人類の祖先たちがユーラシア大陸に広がっていくルートのひとつにあたります。実際、1992年に、シリアのテデリエ洞窟で、旧人であるネアンデルタール人の埋葬された子どもの骨が発見されています。
さらに、現代の私たちに繋がる新人のホモ・サピエンスが住んでいた遺跡もあり、アフリカで生まれた旧人も新人もここを通っていたことがわかります。
面白いのは、旧人がいなくなったあとに新人が住み、さらに、その新人がいなくなると、また、旧人が住みついたことなどがわかることです。つまり、一般には、旧人と新人が入れ替わったようなイメージが強いのですが、旧人と新人は行き来し、接触もあったことがわかるのです。
現代ではDNA研究が進歩していて、旧人が持っていた遺伝子を私たちも持っていることもわかっています。
しかし、それだけでは、人類がもともと持っていた共通の古い遺伝子かもしれません。ところが、その遺伝子は、ある時期に旧人から新人に受け継がれたことも解明されたのです。
つまり、旧人と新人に交配があったこと、つまり物理的な接触があったことが遺伝子研究によって明らかになっています。
では、なぜ、旧人は絶滅し、新人は生き残ったのか。かつては、旧人は知能が低く、野蛮で乱暴で、環境に適合していく知恵がなかったために絶滅した、というイメージがもたれていました。しかし、実は、その説を裏づける有力な根拠はないのです。
私が参加した考古学チームは、旧人と新人の能力そのものの違いではなく、文化の違いに着目しました。
文字で書かれた資料を研究対象とすることができる歴史学にとっては、人とは文化、というのは当たり前のことになります。でも、文字が残されていない時代を研究する考古学にとっては、文化で人を見るのは大変なことです。その数少ない手がかりが石器になります。
旧人も新人も石器を作っています。時代や場所によって石器の作りには差異があるのですが、ベテランの研究者ほど、その差異は「見ればわかる」という言い方をします。
計測によってパラメーター化してもなかなか明確化できないような微妙な差異であっても、実物に触れると、確かに差異があることが感じられます。まさに、「見ればわかる」のです。しかし、その差異からは、旧人は野蛮で、新人は知能が高いというイメージは起きません。
ところが、いまから5万年ほど前、その石器に、(おそらく)新人が後期旧石器革命と呼ばれるある種の技術革新をもたらし、作る石器のパターンが変わります。以後、その後期旧石器を用いた新人が拡がっていき、旧人は滅んでいくのです。これは、農耕と関連して広がった新石器よりもずっと前の話です。
実は、その石器の拡がりを、反応拡散方程式と呼ばれる形態形成などでも用いられる数理モデルによって計算することができます。つまり、新人の拡がりを、文化というファクターを加えることで、より明確化することができるのです。
もしかしたら、旧人と新人の生得的能力に違いはなく、上手く環境に適合し、持続していける文化を生み出したグループが新人として生き残り、現代に繋がっているのかもしれません。
ひょっとしたら、旧人と呼ばれるグループは自分たちの文化や生き方に誇りをもっていて、新人の文化に飲み込まれることを潔しとしなかったのかもしれません。
そんなストーリーを膨らませていると、考古学はロマンに満ちていることが感じられます。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。