18世紀には、若者の教育のための欧州旅行「グランドツアー」が確立
これら初期近代の旅行記には、その国の従うべき文化や、イングランド人と見破られないようにするための注意点なども記されていました。たとえばオスマン帝国を訪れる際にはオスマン風の衣装に着替えたり、コンスタンティノープルのモスクに入るときは靴を脱いだり。身の安全を保つためでもありますが、旅行者たちは異教徒を理解し、柔軟な態度で受け入れ、「郷に入れば郷に従え」を心がけていたようです。
また、語学が堪能であればその国の言葉をしゃべるようにしたり、いざというときはイングランド大使と連絡を取り合って助けてもらえるようにしたりと、さまざまな対策もとられていたようです。
現地の馬車や宿泊費、交通費の値段などが書かれている、ガイドブック的な旅行記もありました。さらには、事前に調べておくべきこと、異国に行って見るべきものなどが書かれた、マニュアル本的な書物も出てきます。
ベーコンの経験主義的な観点からも、若者たちへの教育のため海外旅行の推進が始まり、18世紀になると、イングランドの若者たちが教育のためにヨーロッパを巡る、「グランドツアー」と総称される旅が確立されます。諸外国の文化、政治、経済などを学ぶ機会を重視する考えが、定着していったわけです。とはいえ実際に行けたのはイングランド貴族の子どもたちで、家庭教師や従者たちと一緒に娯楽も含めた遊学の旅に出ていました。
社会に出る前に行く、教育の総仕上げという意味では、現代の修学旅行に近いかもしれません。しかし当時はヨーロッパ大陸に渡るだけでも大変だったため、いったん行くと各都市を数カ月単位で周遊する場合もあったようです。
グランドツアーを経験し、その文化や風習を知ることは、社会的なステータスにもなっていました。若者たちは教養を深めることを目的に、ヨーロッパの国々にある議事堂や裁判所、教会や大学などを見学。そこで裁判や教育がどう行われているかを知るなど、異国を調査しに行く感覚が強かったと考えられます。
とくに古代やルネサンスでも中心となり、文化的にも最先端だとされていたイタリアはイングランドにとって憧れの地であり、グランドツアーでも中心地とされていました。なかでもヴェネツィアは魅力的だと伝えられています。海洋の中心でもあり、文化芸術面でも非常に栄えた都市である一方、治安はあまり良くなかったようです。旅行記では、美しく面白いものも多いがゆえに、誘惑も多く危険もある街だと紹介されていました。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。