ラテンアメリカからの移民に演劇ができることとは
アルゼンチンをはじめ、チリやウルグアイなど独裁政権を経験した国は、その傷が深く、今でも当時を振り返るような作品がつくられています。きっと「あの過去を忘れてはいけない」との思いがあるのでしょう。チリでは、ピノチェト将軍による軍事政権下(1973~1990年)で犠牲となった人たちを追悼するため、首都サンティアゴに「記憶と人権の博物館」が建てられました。
もちろん、現代的なテーマの作品もつくられています。ここではウルグアイの劇作家、マリアネラ・モレラを紹介しましょう。彼女は、女性の視点や弱者の視点をよく取り入れています。
例えば、実在の天才詩人、デルミラ・アグスティーニ(1886~1914年)を取り上げた作品が特徴的です。デルミラは結婚後、あまりに平凡な生活や夫に疲れて早々に離婚するのですが、離婚後も2人は愛人として逢瀬を重ねます。しかし、その現場で前夫に銃殺され、前夫ものちに自殺します。このショッキングな出来事は、それまで恋愛沙汰として取り上げられることが多かったのですが、マリアネラ・モレラは違う角度からアプローチしました。単なる評伝劇ではなく、デルミラにとって自由とは何なのか、なぜ詩に執着するのかまでも描いたのです。非常に演劇的な視点からつくられた独創性の高いものだと私は理解しています。
その他、マリアネラ・モレラは、ウルグアイとブラジルの国境沿いに住むトランスジェンダーたちと一緒に作品をつくったり、パパ活をしていた未成年者が殺害されるという事件をもとにするなど、どの国にも起こりうる普遍的なテーマも扱っています。
コロンビアの演出家、サンティアゴ・ガルシアは「芸術は贅沢品ではなく、必要不可欠なものである」と話しました。日本人にとっては馴染みが薄いかもしれませんが、ラテンアメリカの人々にとって演劇などの芸術は生活に欠かせない身近なものなのでしょう。
そうした演劇・芸術の力を活かせないかと、私は、ペルーからの移民として来た人たちと演劇ワークショップを行っています。移民生活を強いられる人たちは、自己肯定感が低かったりトラウマがあったりと、さまざまな問題を抱えているものです。日本に来た彼らも言葉がわからず孤立したり、子どもたちがいじめあったりしています。そんな彼らにとって、演劇はどんな役割を果たせるのでしょうか。

演劇は英語でPlay、「遊び」という意味もあります。あくまでも、その場で起こることは「遊び」だというのがよいのでしょう。気軽に遊びながらも演劇に集中することで、これまで知らなかった自分の一面に気づいたり、知らない人とも話せるようになったり、グループで何かを行う達成感を得たりできる。そういう意味では、演劇には社会と人をつなぐ場という役割があると考えられます。
これだけで移民の人たちの暮らしや問題を解決することはできません。ただ、人がよりよく生きるために、ちょっとしたヒントを与えてくれるのではないかと思います。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。