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2025.09.04

チリの民主化運動からひもとく、政治も芸術も“自分事”とするラテンアメリカの風土

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「自分事にする」という民主主義の根幹を守るには、経験することが大事

 音楽やダンス、映画といったアートが、民衆の運動と不可分であるところが、ラテンアメリカの“熱さ”にもつながっているように感じます。チリでの民主化運動は、民主主義イコール手間や時間がかかるものだということを再認識させてくれました。こうした運動に、一方では辛抱強く、一方ではお祭のような盛り上がりとともに取り組む人々に心を打たれます。

 社会を変えようとする運動が、彼らにとってカジュアルだったことは、とても大事なポイントです。アルゼンチンにおける「国際女性デー」の際にも、屋台が出ていてワイワイ騒ぎながらデモ活動が行われていました。文句があるとき、間違ったことがあるとき、気軽に立ち上がれる基盤がラテンアメリカには存在しています。

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アルゼンチンの「国際女性デー」の様子

 ラテンアメリカにとっては、芸術もまたカジュアルなものです。国立美術館が無料だったり、私立の美術館でも無料の日があったりと、非常にアクセスしやすく、生活と結びついています。学校行事などで連れてこられたと思われる子どもたちがキュレーターの話を聞いたり、その後わいわい作品について話していることもある。彼らにとっては、デモもアートも生活の中にあるものであり、デモ運動も芸術活動も自己表現の手段なのです。

 しかし日本だと、デモは権利として認められているのに、学生であれば「(デモへの参加は)就活に差し障る」と考える人もいるようです。また、「デモは迷惑なもの、デモや暴動が起きる国はレベルが低い」と捉えている人も少なくない。ですが、そんなのはデモ活動を行わせないためにつくられた社会的風潮みたいなものです。我慢をする、黙って言うことを聞く、といったことが美徳とされる慣習も、裏返せば民主主義の弊害になり得ます。

 芸術に関しても、それが「さまざまなものから隔離された、至高のものでなければいけない」といった捉え方があります。「好きだったミュージシャンが、政治的な主張をしたから幻滅した」なんて声も珍しくありません。芸術が、ただ美しいものだけを表現していられたら、それに越したことはないでしょう。しかし理想の世界なんて、どこにも在りはしない。芸術だって、我々とともに拳を突き上げる必要があるのです。

 若者たちがデモ活動に参加するのは、素晴らしいことではないでしょうか。「自分事にする」というのは、民主主義の根幹です。そのためには、経験をすることが何より大事。政治は政治家、芸術は芸術家に任せ、ただただ受け手に徹するのではなく、政治も芸術も自分たちの生活の中にあるという感覚が、ラテンアメリカの人たちを見ていると素晴らしいなと感じます。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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