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2023.02.03

民主主義体制の下、英国王室が存続する理由は?

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国民に支持される努力を重ねたエリザベス女王

 イギリス王室のアップデートは過去のものだけではありません。在位70年に及んだエリザベス女王も国民に支持される努力を重ねました。例えば、1992年と1997年は王室の危機と言えるような年でした。

 1992年は、当時のチャールズ皇太子とダイアナ妃の別居、また、次男のアンドルー王子にも別居騒動が起きます。別居は離婚の準備と見なされるので、キリスト教の倫理感が強いイギリスでは非常にネガティブに捉えられます。

 さらに、女王の住居であるウィンザー城で火事が起こります。ところが、王子たちの離婚騒動でイメージの悪くなっていた王室が城の修理のために公費を使うことに批判が起こります。

 そうした国民の感情を察した女王は、城の修理費を王室自ら捻出するために、バッキンガム宮殿などを有料で一般公開します。この施策は、普段は見ることができない王宮内を見学できるということで、国民や観光客に歓迎されました。

 女王はこの年を「悲惨な年」と呼びましたが、5年後の1997年に、ダイアナ妃が交通事故で亡くなるという事件が起こります。このとき、イギリス国民は本当に深い悲しみに暮れます。

 ところが、ダイアナ妃はその前年に離婚が成立して王室の一員ではなくなっていたため、エリザベス女王は追悼のメッセージをなんら出さず、沈黙します。それが、国民の感情に寄り添わない姿勢と見なされ、激しい反発を招いたのです。

 実は、民主主義体制の中で、王室不要論は常に議論されてきましたが、このときは、それが最も激しくなりました。事態を重く受け止めた女王は、数日後にテレビに出て追悼メッセージを出します。

 こうした経験によって、王室は常に国民に寄り添い、国民の支持を得ることが重要であることを、エリザベス女王は強く認識したのではないかと思います。

 王室が以前から積極的に行っていた慈善団体やチャリティ活動の後援を、国民にもわかりやすく発信したり、活動に参加した際には人々と親しくふれあうことが増えていきました。

 また、王位継承のルールは、1701年に制定されて以来、男性優位でしたが、2013年に、性別に関係なく第一子が王位を継承するルールに変えました。この男女平等のルール改正も、現代社会のルールに沿った王室のアップデートと言うことができます。

 こうした様々な努力によって、エリザベス女王は国民に広く敬愛される存在になっていったと考えられます。

英語版はこちら

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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