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2022.11.16

差別、格差、貧困の問題と、環境の問題は繋がっている

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アメリカで生まれた環境正義という考え方

 先に述べたように、環境正義はアメリカで生まれた考え方です。その背景には、環境問題に対するアプローチが、日本とアメリカでは真逆だったことがあります。

 古くは足尾銅山の鉱毒事件をはじめ、戦後は、水俣病や四日市喘息、富山のイタイイタイ病など、公害が環境問題として取り上げられることが多かったのが日本です。

 一方、アメリカでは、開拓時代から、日本では想像もつかないような大規模な原生林の伐採や破壊、野生生物を絶滅に追い込む乱開発などを行ってきたため、自然保護に目が向けられるようになります。しかも、その主体は、休日に登山などを楽しむ、ゆとりのある白人男性が中心でした。

 その頃、私がアメリカに行って環境問題について調査すると、白人男性が出てきて、シマフクロウの絶滅問題のような話ばかりをします。

 当時、日本で問題になっていた公害がアメリカではないのかと質問したところ、公害を訴える活動は、有色人種の人たちが住む工業地帯でやっているようだ、と言います。

 そこへ行ってみると、確かに白人はまったくいない町で、工場からはモクモクと排煙が上がり、多くの子どもたちが喘息になっているようなところでした。

 こうした状況を訴える黒人の人たちがいましたが、マスコミなどが取り上げることはなく、環境運動を行っている白人男性たちも、あまり知ることも関心を持つこともなかったのです。

 1980年代に入って、有害物質を含んだ産業廃棄物をアフリカ系黒人の居住地区に埋め立てる計画が持ち上がります。その反対運動を行う黒人の国会議員が、過去の廃棄物の埋立地を調査したところ、それが、黒人や有色人種が多く住む地域ばかりにあることがわかったのです。

 アメリカでは、1960年代から公民権運動が盛り上がり、人種差別や様々な格差を受けていた人々が平等や権利を求める社会運動が広がります。

 しかし、そうした運動と環境問題は別個に捉えられていたのですが、この産業廃棄物問題をきっかけとして、環境人種差別という概念が生まれ、それは、環境正義を訴える活動へと広がっていくのです。

 こうした概念が生まれ、言葉になると、人種差別によって大きな環境汚染や破壊が放置されている実態がどんどん明らかになっていきます。

 例えば、第二次世界大戦後、世界中で核の開発、利用が進められますが、原発などの稼働にあたっては、放射能による被曝や汚染が起こらないように細心の注意が図られます。ところが、その原発を稼働させるウランを採掘する鉱山の管理は、非常にずさんでした。

 例えば、核分裂に利用できるウランは0.7%ほどで、採掘したものの使えない99.3%のウランはそのまま放置されたりしたのです。しかし、そうしたウランも放射性物質であり、鉱山の労働者や周辺住民にとっては非常に危険なのです。

 なぜ、このようなことが行われていたのか。精錬しなければただの石と思っていた科学知識のなさもあったのでしょうが、実は、ウランが出る山のほとんどは、先住民、いわゆるインディアンの居住区にあるからだと思います。

 例えば、居住区に大きなウラン鉱山があったナバホ族のがんの罹患率は、いま、全米平均の17倍です。ところが、このことが全米に大きく報道されることはありません。

 つまり、ニューヨークやワシントンで、豊かで快適な生活を享受している人々のほとんどはこうした実態を知りません。アメリカに、放射能による環境汚染があることも、被曝者がいることも知らないのです。

 こうした環境的不公正が起こる背景には人種や少数民族に対する差別問題があり、それを正していくのが環境正義という考え方なのです。

英語版はこちら

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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