日本の強みを活かす「両利きの経営」
戦後の高度経済成長期において、日本の企業では自前主義による製品開発が主流でした。
自社内で研究開発をすべて行い、それを秘密にすることで他社に対して優位性や独自性をもつのです。それが、日本企業の強みにもなっていました。
実際、日本商品は世界を席巻し始め、1980年代には、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われるほどの成果を生みます。
しかし、1990年代になると、世界各国企業の技術革新はめざましく、自前主義を貫き通すことが難しく感じられる場面が目立ってきたようにも思われます。
例えば、いま、多国籍企業として知られる大企業は、いずれも、「知の深化」だけでなく、グローバルな視点から「知の探索」を行ってきた企業が多いと言えます。
なぜ、日本企業は欧米企業に先駆けてその流れにのることができなかったのか。いくつかの要因が考えられるでしょう。
ひとつには、欧米の企業が短期的に結果を求める志向が強いのに対して、日本企業は長期的なスパンでプロジェクトを評価する志向にあることです。
欧米の企業は、短いスパンで探索と深化を重ね、小さなイノベーションを生み出しながら、より大きなイノベーションを創出するケースが多いのです。
すると、自前で研究開発したり、パートナーを国内などに限っていては限界があり、グローバルな視点で探索することが求められるわけです。
また、先に述べたように、リーダーとなる人の質の問題があります。
起業家精神に富んでいる人が多い欧米では、トライ・アンド・エラーを怖がりません。それに対して日本人は、長所の「慎重さ」の裏返しですが、不確実性を回避したがる気質が強いと言われます。これでは、両利きのリーダーシップの発揮に少なからずブレーキをかけてしまうこともあるでしょう。
もうひとつ、知識の質が関わっているという事も考えられます。
欧米では、知識を言語化することで情報化し、共有が容易になる形式知が中心であるのに対して、日本では、言語化されていない暗黙知が多いと言います。
それは、自前主義で研究開発をするときには、いわゆる、あうんの呼吸となり、効率的に機能します。しかし、文化や価値観の違う外部とパートナーシップを組むときには、お互いを理解し合い、納得できる形式知を共有する方が有効になり得ます。
こうした要因を考えると、グローバルな視点で「知の探索」を行い、リソースを融合してイノベーションを生むような活動と日本企業の経営環境や資源文化との親和性についてもう少し議論が必要となるのではないでしょうか。
しかし、一方で、こうした要因は日本の強みでもあると言えます。例えば、自前主義は「知の深化」において非常に有効です。
もちろん、「知の探索」がなければ企業の成長は見込めません。しかし、それに固執し過ぎてもいけません。深化によって自分たちにコアが形成されているからこそ、探索後のパートナーシップが有効になるわけです。
また、日本人は、暗黙知を形式知に変換する能力が高いと言われます。これは、形式知同士のやり取りが中心の欧米の人には育まれにくいスキルと言えるでしょう。
今後、さらにグローバル化が進み、形式知によるやり取りが難しい国や地域とのパートナーシップには、日本人のこの能力が有効になるかもしれません。
日本の企業は、こうした取り組みを長期的なスパンの中で捉えることも可能なのです。
すなわち、欧米のやり方を直輸入し、そのまま取り入れるだけが正解ではないと考えます。「両利き経営」の考え方は、現代の企業において重要な概念の1つです。しかし、その実践においては、日本的なやり方があっても良いのではないでしょうか。
そのときには、日本の特徴を否定するのではなく、強みとして捉え、それを活かして、日本的な両利きのリーダーシップを発揮する人材が必要だと考えます。
その意味では、そうした人材を育てる教育や、トライ・アンド・エラーに寛容な組織づくりが、私たちの課題なのかもしれません。
欧米の企業はコロナ・ワクチンの開発に先行しましたが、治療の飲み薬の開発は日本の製薬会社も健闘しています。今後、この治療薬がコロナのパンデミックの中での光となるかもしれません。
そのとき、その薬の質の高さは、自前主義と不確実性の回避という日本的要素を尊重しながら優れた外部リソースを自社リソースと組み合わせて生まれた日本ならではのイノベーションと言われているかもしれないのです。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。