志賀直哉が気づいた「外国人の日本語」のすばらしさ
もちろん、すべての宣教師が、カンドウ神父のように日本語を流暢に話し、自在に読み書きができたわけではありません。ですが、宣教師に限らず、語彙が豊かではないからこそ、練り上げられた言葉の凝縮感があらわれるということがあります。
私は中国の上海出身で、日本語のネイティブスピーカーではありませんが、やはり、外国語と比べると母語では多弁になります。不自由さのない母語で次から次に言葉を重ねて、本当は大した内容がないのを誤魔化してしまったという経験は、誰しもあるのではないでしょうか。
私は、そのことを考えるとき、自分の研究の出発点であった志賀直哉を思い出します。「日本近代文学の最高峰」とも評される志賀ですが、最少の言葉によって読者の想像を最大限に引き出し、書かないことによって書くという彼の特徴的な文体は、まさに「外国人の日本語」から着想を得たところがありました。
志賀は、親交のあったイギリス人陶芸家バーナード・リーチの日本語に深い関心をもっていました。「リーチの日本語は達者といふのではないが、友達の関係からか、所謂社交的な厭味がなくてよかつた」といい、「或る晩、小説の話を聞いた事がある。少ない語彙で却つて非常によく感じが出るのに感心した。感じが圧搾されて出て来る。自分も語彙は貧弱な方だが、リーチの話を聴き、気丈夫に思つた事を憶ひ出す」と書いています。(*5)
あるいは、哲学者の鶴見俊輔が五年間の米国留学を終えて日本に帰国してから、日本語がうまく書けないという悩みを仏文学者の桑原武夫を通じて相談したところ、志賀は「名文を暗記して型にはめてはならない。日本語と英語の間のドブ落ちて、もがけば、自分の文体ができる」というアドバイスを送っています。(*6)
私が、日本語を母語としない者による日本語の創作に期待したいことは、やはり志賀が発見したことと関係があるように思います。
つまり、語彙が少ないからこそ、言葉を大切に、丁寧に使うということ。言葉を無駄にせず、誤魔化さず、言いたいことを伝えようと努力すること。ひょっとすると、美しい日本語というものは、外国人宣教師のような人々によって保存されているのではないか。そのように私は考えています。
日本には昔から、さまざまな国と地域から人々が訪れて、異なる言語や思想、文化の交流が行われてきました。そのうえで成立している日本文学や日本文化は、実は、非常に国際色が豊かです。
その意味でも、現代の日本人が、宣教師の日本語文学を顧みないのはもったいないことです。宣教師たちが残してくれた膨大な日本語創作のもつ思想的、文学的内容を見逃し、日本文化への寄与の重要性を理解する機会をも逸してしまっていると私は思います。
【注】
*5 志賀直哉「リーチのこと」(初出『工芸』39号、1932年)『志賀直哉全集』第9巻(岩波書店)
*6 鶴見俊輔編『新しい風土記へ 鶴見俊輔座談』(朝日新聞出版、2010年)
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。