100年後の私たちが芥川龍之介に学ぶこと
もうひとつ、芥川龍之介のセルフプロデュースには、師匠である夏目漱石を継ぐ者という自負がこめられていたと思います。
実は、夏目漱石の弟子たちの、夏目漱石に対する憧れは非常に大きいものがありました。
例えば、夏目漱石は、自分自身や周囲の者たちをモデルにしたり、その中の男女の三角関係を、ひとつの普遍的な人間関係のように捉えて描いた作品があります。弟子たちの中には、師匠のこうした視点を継ぐような傾向の者もいました。
例えば、夏目漱石の娘をめぐって弟子たちの三角関係があったことは有名ですが、それは、これを題材にした小説が当事者によって書かれたからです。弟子たちにとっては、それが師匠のスタイルを踏襲する創作活動と捉えられていたのかもしれません。
一方、芥川龍之介には、夏目漱石の技巧に対する考え方を引き継ぐのは自分という自負があったと思います。
実は、ヨーロッパ留学の経験がある夏目漱石には、ヨーロッパから輸入したものに安易に乗らないというプライドもあり、自然主義とは一線を画し、次元の異なるインテリジェンスを顕示していました。同じくヨーロッパの留学経験がある森鴎外とともに、夏目漱石が高踏派と言われる由縁です。
そんな夏目漱石は、技巧に対して、自然主義の言うようなわざとらしさがあることを認める一方で、そこに文学の本質的ななにかがあることも捉えていました。
例えば、artは芸術と訳されますが、また、技巧とも訳されます。日本は、江戸時代の戯作から、artである小説を創造していこうとしていた以上、artのひとつの意味である技巧を否定していては、小説の本質に近づくことはできないことになります。
だからこそ、芥川龍之介に対して、技巧に優れていることを評価し、期待したのでしょう。そうした師匠の思いがわかる芥川龍之介は、芸術としての小説を意識し、そこに向き合ったわけです。
自分を新技巧派としてセルフプロデュースした彼の根底には、そうした夏目漱石の思想を引き継ぐ思いもあったと思います。
セルフプロデュースというと、虚飾で自らを大きく見せるようなイメージがありますが、そのような付け焼き刃はいつかは剥げるものです。
本来のセルフプロデュースとは、世の中や、自らの本質的な部分を理解した上で、それをどう顕示していくか、ということです。
そうした感覚に優れていたとともに、師匠の思想を体現する自負もあったからこそ、芥川龍之介は友人から大きな支持や協力も受けることができ、セルフプロデュースに成功したのだと思います。
最後に、もう100年も前の作家である芥川龍之介の小説を、現代の私たちは、なぜ読むのでしょう。
もちろん、小説として面白いことがあります。そして、その面白さのなかで提起される人間の姿が、決して100年前の問題ではなく、現代の私たち自身にとっても身に覚えのある問題であり、作品を読むことを通して、その問題にあらためて向き合うことができるからだと思います。
その意味では、人が人である限り、古典と言われる名作は、廃れることはないものなのです。
また、この100年の芥川龍之介研究を通して明らかになってきた彼の人となりや、思い、あるいは、芸術を創造することの決意、そのためのセルフプロデュースがあったことを知ると、また、違った角度や視点から芥川龍之介を読めるのではないでしょうか。
例えば、あなたは、いま、あなたにとって最適のセルフプロデュースをしていると言えるでしょうか。そうでなければ、それを、芥川龍之介に学ぶことができるかもしれません。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。