イノベーションを生み出す新しい形、共創
イノベーションを生活者の立場から見ると、生活の満足度が上がる一方、新しい技術によって職がなくなるという問題も起きます。
18世紀末のイギリスの産業革命では、職を奪う機械を労働者たちが壊して歩くというラッダイト運動が起きました。
しかし、現代の私たちはその後の歴史を知っています。すなわち、従来の職は減るものの、新たな職種が増えるのです。このことは、これから起こるイノベーションにおいても繰り返されると思います。
政策で考えるべきことは、当初は増える失業者を吸収する施策だと思います。
また、経済発展にともなって、貧富の差が広がり二極化が進む傾向があります。それは、公平性の観点からは望ましくありませんが、経済学的に考えると、望ましい状況を生み出すこともあります。
なぜなら、経済が発展すれば全員のトータルの収入は増えると考えられるからです。
例えば、Aが100万円、Bが100万円得ていた社会から、Aが1000万円、Bが10万円得る社会になれば、貧富の差が広がったことになります。
しかし、トータルで見れば、200万円から、1010万円の社会になったのです。そこで、AからBに100万円を分配する政策を行えば、Aは900万円、Bは110万円になり、トータル200万円の社会より、みんなが潤うことになります。
イノベーションのインセンティブに配慮しつつ分配政策をうまくやれば、格差がありながらもみんなの満足度を高められる可能性があるのです。
さらに、現代は、先に述べたような規制を政府に期待しなくても、生活者一人ひとりが企業を規制するようなことも可能です。
インターネット上に個人の意見を簡単に発信できるようになったためです。
悪い評価が広がることは、企業に対するコミュニティによる罰の役割を果たし、市場の独占企業であっても、そうした社会的な評価に対して敏感になっているのです。
しかし、このような私的な罰は非常に危険な面ももっています。
間違った罰を与えないためには、集合知が生まれている必要がありますし、評価の独立性も重要です。
なにが社会規範か、なにをもって公正とするかを、各人が適切に判断する能力を身につけることが求められます。
もし、各人が周囲に引きずられて正しい判断や評価を行えず、それが誤った罰になった場合には、司法の介入が必要になってしまいます。
本来、政府による規制など、中央集権的な介入に頼らない形を目指したものが逆効果になりかねません。私たち一人ひとりが自覚と自律を身につけていくことが大切になります。
イノベーション自体も、企業という閉ざされた枠で目指されるのではなく、オープン・イノベーションという形が広がっています。
従来からある双方向の共同研究やコラボレーションだけでなく、自分たちの持っている技術や知識に加え、施設や設備などもアウトバウンドでオープンにし、不特定のメンバー内で共有し、新しいものを生み出していこうというスタイルも出てきています。
競争の中でも、こうした共創によって生み出されたイノベーションが、果たして、どのような価値を創出し、どのような独占を起こすのか、未来のイノベーションに期待したいと思っています。
私たち自身も、先に述べたように、これからは、各人が適切に判断する能力を高めていくことがとても大切ですが、そのためにも、まず、新しい技術やサービスなどに積極的に触れてみることをお勧めします。
それは、自分の満足感を自分なりに評価する訓練になりますし、あなたのその体験が、イノベーションを実現する、普及というプロセスの第一歩になるかもしれません。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。