
内務省の検閲によって物語漫画は大きく変化
私が博士論文にまとめるためにずっと続けているのが、大正末から昭和の戦前・戦中期の子供向け物語漫画の研究です。この時代には大人向けの物語漫画も少なからずあるのですが、そこまで手を広げられないので、子供向けのものに絞っています。
手塚治虫以前の、戦前・戦中期(昭和6年=1931年の満洲事変以降を戦中とするか、昭和12年=1937年の日中戦争開始以降を戦中とするかは説の分かれるところですので、昭和元年から20年の敗戦までを全体として「昭和戦前・戦中期」としています)の子供向け物語漫画というと、田河水泡の「のらくろ」や、島田啓三の「冒険ダン吉」、横山隆一の「フクチャン」といったあたりを思い浮かべる方もおられるかと思います。
が、これらの作品のヒットを受けて、昭和10年前後にはすでに子供向け物語漫画のブームと言えるものが起こっていて、年間数百タイトル単位で、描き下ろしの漫画単行本(赤本漫画)が刊行されていたという事実は、ほとんど知られていません。この時期の赤本漫画は1冊あたり32頁とか64頁といった薄いものも多く、作者名も明記されていない(奥付に記載されている作者名は出版元の社主であることが多い)ことが多いのですが、今日の目から見ると、「こういう表現方法や主題がすでにこの時期にあったのか…!」と驚かされることもしばしばです。
また、このブームに伴って、漫画を教育的な観点から問題にする議論がすでに起こっていたことも無視できません。これはやがて、昭和13年=1938年に、当時出版物の検閲を担当していた内務省警保局から「児童読物改善ニ関スル指示要綱」が出版業界に通達され、大量の赤本漫画がこの「指示要綱」に示された基準によって発禁処分を受けるという事態につながります。
この結果、昭和14年=1939年以降の子供向け物語漫画は、扱う主題の面でも表現様式の面でも大きく変化していきます。この辺の事情については、いろいろなところに論文を発表していますが、ネットで読めるものとして、国際日本学部の紀要に掲載されている「戦争と〈成長〉」がありますので、よろしければこちらをご覧ください。
次回は、漫画作品の具体的な分析についてお話します。
#1 サブカルチャーを研究する意味とは?
#2 漫画の始まりはいつ?
#3 手塚治虫以前には、どんな漫画があったの?
#4 漫画を研究するポイントって?
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。