
近年、気候変動を初めとする環境問題への対策と、食料の安定供給との両立が世界共通の課題となっています。たとえば農業分野では、水田から発生するメタンや、化学肥料由来の窒素の排出が問題視されています。また、消費者の側では、「健康に良い」「環境にやさしい」とうたわれる植物性食品(プラントベース食品)や環境配慮型農産物が店頭に並び、その関心は確実に高まっています。 しかし、こうした情報の普及が、必ずしも現実の行動変化につながっていないのも事実です。人々の行動を変えるには、どのような情報伝達のあり方が必要なのでしょうか。
正しい知識が合理的な行動につながらない、「意識と行動のギャップ」という問題
従来の制度・政策は、「正しい情報を与えれば、人間は合理的に行動を変える」ことを前提に作られていきました。しかし近年、この前提は必ずしも正しくないという認識が世界で共有されつつあります。環境に配慮した農業技術はなかなか普及せず、健康や環境に良い食品も、従来の食品と比べると後回しにされる。こうしたギャップは、日本だけでなく、欧米諸国でも繰り返し報告されています。
行政やメディアなどを通して触れる情報によって、多くの人が「環境に配慮した行動が大切だ」と理解しているにもかかわらず、その意識が実際の農業や購買行動にまで反映されていません。こうした「意識と行動のギャップ」は、持続可能な食料システムの実現を阻む大きな壁となっています。
知識や意識の向上だけで変わるほど、人間の行動は単純ではありません。政策を通じて持続可能な食料システムを実現するには、その理念を掲げることや制度を整えることだけでなく、「いかに実際に人を動かすことができるか」という視点がこれまで以上に求められるのです。
そこで有用となるのが、行動経済学の知見です。行動経済学では、「人間は常に合理的に判断する」という経済学のこれまでの前提を見直し、心理学の知見を取り入れて人間の行動を分析します。これまでの研究によって、私たちの行動は知識や経済条件だけでなく、周囲の人がどうしているか、変化に伴う面倒さや不安、長年の習慣など、さまざまな要因に左右されることがわかっています。
私はこうした人間の「癖」を踏まえて、持続可能な食料システムを実現するための制度設計に貢献することをめざして研究に取り組んでいます。研究手法は、農業生産の現場や消費者による購買の現場に介入するフィールド実験を行い、どのように情報を届ければ行動変化を促すことができるのかを分析するというものです。
消費者の「十分に取り組んでいる」という誤解を、情報の届け方で解消する
「意識と行動のギャップ」は、たとえば消費者の購買行動に見ることができます。一日に適量の野菜を摂取すると体に良いということは、誰もが知っている常識と言っていいでしょう。ところが、日本人の野菜摂取量は国の推奨する水準に達していないどころか、むしろ微減しているのが現状です。これまで政府は「健康のために野菜を食べましょう」といったキャンペーン型の政策を展開してきましたが、ここ20年ほどは全く効果を挙げていないということになります。
そこで私は、ビッグデータを用いて購買行動をモニタリングし、同時にアンケートによって意識と行動のギャップを検証することにしました。その結果、ほとんどの人が摂取不足にもかかわらず「自分はすでに十分野菜を摂っている」と誤解していることがわかりました。
それでは、どのようなメッセージなら消費者の行動を変えられるのでしょうか。さまざまなメッセージを発信して効果を検証したところ、最も効果が上がったのは、その人の過去の購入履歴を参照して「同年代・同じ性別の人と比較して、あなたの野菜消費量はこれくらいです」と知らせるパーソナライズされたメッセージでした。周囲の平均と比較することで、「十分に摂取できていると思いこんでいるが、実際はできていない」という認知のズレを解消することが必要だったのです。
また、子どもがいる家庭ではとくに行動変容の結果が長続きすることもわかりました。これは、家族の健康を案じるという利他的な動機が行動に強く働きかけるからだと考えられます。
実験結果からは、従来の手法で行動変容を促すことの限界も伺えます。日頃の購買の場面で私たちはほとんど無意識に商品を手に取っています。スーパー店頭の掲示物などで環境への配慮や健康効果を訴えても、なかなか消費者の目に止まらず、日常的な食習慣を変えるまでには至らない。こうしたことが、健康や環境に配慮した食品が手に取られづらい背景にあるのではないかと考えられます。とくに、まだまだ馴染みの薄いプラントベース食品となると、行動変容を持続するハードルはさらに上がります。
また、こうした情報発信による働きかけが、誰に対しても効果を発揮するわけではないことにも注意が必要です。所得の低い世帯や、食料品店へのアクセスが限られている地域では、情報だけでは行動を変えにくい場合もあります。行動経済学的な介入は万能ではなく、制度的な支援や経済的対策と組み合わせる必要があることも、研究から示唆されています。
農家、企業で環境への配慮が進まない背景にある、制度と実際の判断とのギャップ
農家や関連企業においても、「意識と行動のギャップ」から環境負荷を抑える技術や制度が十分に浸透していない状況があります。
農業分野では、栽培方法や肥料の使い方によって環境負荷が大きく左右されることが知られており、行政からは補助金の整備とともに情報やルールの周知が行われてきました。しかし、農家にとって、これまでとは異なる方法を導入することには大きな経営リスクが伴います。収量が減るかもしれないという懸念や、周囲がやっていないことを導入する抵抗感、導入にかかる時間的・人的コストといった要素が行動変容のハードルとなり、結局、「最も安全そうな現状維持」が選ばれることが多いのです。
こうした背景を踏まえて、私は滋賀県のフィールドで実験を行いました。琵琶湖を擁する滋賀県は、日本でもとくに農業における環境意識が高いことで知られています。その滋賀県においてすら地球環境に配慮した農法は十分に普及していないということで、行動経済学による大規模な介入実験を行うことになりました。
実験では、対象となる農家を集落ごとに3つのグループに分け、それぞれに「周囲でどれだけの人が環境に優しい農法に取り組んでいるかという情報」「地球温暖化によって米が劣化しているという事実」「技術的な心配事を軽減させる情報」を伝えてその後の行動変容を追跡しました。その結果、最も行動変容につながったのは、社会規範に訴えた1つ目情報でした。周囲と水源を共有しており相互依存性が高い、日本の農業地帯ならではの結果と言えるかもしれません。
この実験結果から、補助金メニューを用意するだけでなく、情報の伝え方を工夫することが政策の実効性に大きく影響することが示唆されました。
同様の事例は、肥料を製造販売する企業にも見られます。肥料の品質や表示に関するルールは長年にわたり整備されてきましたが、それでも表示ミスや報告の遅れといった問題が後を絶ちません。重要なのはこれらの多くが「ルールを知らないから」や「意図的に違反しているから」では説明できない点です。日々の業務の中での「後回し」「自社だけは大丈夫だという思い込み」「罰則の現実味を感じにくい」といった人間らしい判断の積み重ねが、結果として、想定されていた制度運用との齟齬をきたしてしまっているのです。
これらの研究が共通して示しているのは、制度やルールそのものの根拠や目的が間違っているわけではないという点です。十分な実効性が発揮されない原因は、「制度が、人の実際の判断プロセスを前提に設計されていない」ことにあります。
日々の小さな行動の変化が、地球環境と私たちの未来に大きな影響力をもつ
持続可能な食料システムを考えるうえで、ワイン産業は非常に示唆に富んだ対象です。気候変動が原料のブドウの品質や収量にダイレクトに影響する一方で、生産方法によっては温室効果ガスの削減に貢献することができ、それが生産地や商品自体の付加価値にもつながりやすいためです。
私の研究では、日本全国のワイナリーを対象に、環境面で先駆的なワイナリーの取り組みを紹介することで波及効果が生まれるかを検証しました。その結果は、興味深いことに、先駆的な事例が必ずしも他の生産者の行動を促すわけではないというものでした。これまで一般的に用いられてきた「先進事例を取り上げることで横展開をねらう」という行政手法が、現実にはいかに難しいかを示唆する結果です。
持続可能な食料システムの実現は、壮大な理念や長期目標だけで達成できるものではありません。それは、消費者がどの商品を手に取るのか、農家がどの技術を選ぶのか、企業がどの情報を優先して処理するのかといった無数の小さな選択の積み重ねによって形づくられます。
私の研究は、こうした現場の行動を丁寧に観察し、どこで、なぜ、つまずいているのか、その改善策はどのようなものかを明らかにすることをめざしています。情報が多すぎると見落としてしまう、複雑になれば後回しにしてしまう、環境よりも短期的な利潤につい意識が向いてしまう……そうした人間臭さを前提に、制度設計のあり方自体を考え直してゆく必要があるでしょう。
また、消費者一人ひとりにとっては、習慣や直感のみに頼らず、ときには立ち止まって「なぜそれを買うのか」を問い直してみることも重要です。アメリカの研究ですが、食品関連のCO2排出のうち、家計の占める割合は10~30%にのぼるというデータがあります。小さなことのように思える私たちの食の選択は、エネルギーや交通を並ぶくらい大きな影響力を持っているのです。
現場の行動データに基づくエビデンスを通じて、どのような政策や情報が、人々の選択を少しだけ良い方向に動かすのかを示すことが、今後ますます重要になると考えています。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。
