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2026.09.11

「悪党」か「天下儀士」か。幕末の村山騒動を4つの学問から読み解く——知の越境 4人の論者が展示を切る!

特集
「悪党」か「天下儀士」か。幕末の村山騒動を4つの学問から読み解く——知の越境 4人の論者が展示を切る!
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2026年7月18日、明治大学リバティホールで明治大学博物館連携講座「知の越境 4人の論者が展示を切る!」が開催されました。本シンポジウムは、明治大学博物館で8月31日まで実施された展示「悪党、天下をかたる―慶応二年村山騒動の世界」を題材に、異なる学問の研究者がそれぞれの専門的な視点から「村山騒動」を論じるというもの。

登壇したのは、日本近世史・民衆史を専門とする須田努先生、思想史の合田正人先生、刑事訴訟法学の黒澤睦先生、認知科学の石川幹人先生です。当日は、研究者同士の対話を通じて民衆暴力や法と秩序、集団心理などさまざまな議論も展開。幕末の事件から、現代社会にもつながる論点が浮かび上がるシンポジウムとなりました。

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多くの参加者でにぎわう、イベント会場

「村山騒動」とは何だったのか

「村山騒動」とは、慶応2年(1866年)、米価高騰に苦しむ出羽国(現在の山形県)村山郡の民衆が、富裕層に米や金銭を求め、それを拒む者の家財を打ち壊した事件です。騒動には村落から約1600人が加わったとされています。

騒動の首謀者は、武器を持ち騒ぐ博徒や浪人などのアウトロー。襲撃を受けた被害者側は彼らを「悪党共」と表現している一方、首謀者側は自らを困窮する民を救う正義を掲げ「天下儀士」と名乗りました。

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実際の報告書(左)と要求書(右)

「悪党」と「天下儀士」。相反する呼称を手がかりに、4人の先生が、歴史・哲学・法・認知科学といった各専門分野をクロスオーバーさせながら、「村山騒動」という歴史的事件を多角的に読み解きます。

夢も展望もない幕末の若者たちの矛先は?

まずは、日本近世史・民衆史を研究する須田努先生が、村山騒動が起きた社会背景を読み解きました。

「江戸時代の一揆には、もともと盗みや放火、身体への暴力を避ける作法があり、その土台には窮乏時には領主が民を救う仁政への信頼と、武士の威光への畏れがありました。ところが、19世紀に入り江戸時代後半になると、飢饉や領主財政の悪化を受け、仁政と威光が揺らぎ始めます。村山騒動は、このように従来の規範が崩れた先で発生した騒動です」

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「明治大学には10の学部がある。それぞれの専門分野から事件を解釈すると違った見方ができるのではないか」と、須田先生は述べています

村山騒動の襲撃地を訪ねたこともある須田先生は、襲撃先の場所にも注目しています。騒動勢は地域内の富裕な庄屋や商人を狙った一方、さらに多くの資産を持つ遠方の豪商は襲っていません。これについて、須田先生は「日常的に接点のあった近隣の富裕層へ、不満が向かったのではないか」と見ています。

さらに須田先生は、村山騒動で捕らえられた人の多くが「倅(せがれ)」や「二男(じなん)」などと資料に記されていた点にも着目しました。肩書だけでは年齢を断定できませんが、江戸時代中期に起きた伝馬騒動などの一揆では「家長」が中心であったことと比較して、村山騒動では若い層が一揆の中核を担っていたのではと仮説を示します。

「当時の地域社会では、有力者や商人が既得権益を守り、新たに商売へ参入する余地が狭まっていました。そのため、資産や特別な能力を持たない若者は、将来への展望を描きにくかったのではないでしょうか。つまり、村山騒動はこうした彼らの鬱積した不満が噴き出した結果だと、私は思うのです」

哲学・思想史から考える暴力と集団

次に登壇したのは、フランス語圏の哲学・文学を研究する合田正人先生です。

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須田先生から登壇依頼を受けた合田先生は「歴史学を専門としない自分に声がかかって驚いた」と、率直に明かしました

合田先生はこれまで、メルロ=ポンティやジャン=ポール・サルトルといった、暴力を主要な課題として思索した哲学者を研究してきました。とくにサルトルは、階級抑圧といった「制度的暴力」に対して、抑圧される側が対抗手段としてとる「暴力(対抗暴力)」の役割などに着目しています。これは、村山騒動を読み解く一つの視点になるといえます。

「サルトルは著書『弁証法的理性批判』で、普段は別々に暮らす人々が危機をきっかけに結集し、共通の敵を定め、やがて規律や暴力を伴う集団へ変わる過程を論じています」

また、合田先生は、歴史学者・安丸良夫氏がいかにサルトルの影響を受けたかについても紹介しました。

「民衆思想史という分野を切り開いた安丸氏は、百姓一揆を、蜂起する民衆を歴史の主体とし、その立場から読み解いていました。『弁証法的理性批判』をバイブルと呼ぶほど読み込み、サルトルの考え方を、百姓一揆の研究に取り入れていたのです」

合田先生の講演内容を受けて、須田先生は「私も安丸さんの著作を読んだ世代です」と振り返りました。一方で、自身は民衆を歴史の主体として捉えつつ、従来の規範や秩序の崩壊から暴力が生まれる過程へ目を向けてきたと説明します。同じ出来事でも時代や研究者の関心によって切り口は変わると述べ、哲学者の立場から今後考えていきたい歴史や切り口について、合田先生に問いかけました。

合田先生は自身の専門である思想史に話を引き寄せると「日本の思想史をどう書き換えていくかが今後の課題です」と話し、伊波普猷の『古琉球』と西田幾多郎の哲学書『善の研究』を紹介しました。そして「この2つは同じ年(1911年)に生まれながら、従来の哲学研究では並べて論じられる機会はほとんどありませんでした。まず私たちがやらなければならないのは、2冊を並列させて、両作品が生まれた背景や共通する思想などを論じるところからだと思っています」と述べ、学問分野の枠を越えた視点の重要性を示しました。

刑事訴訟法の視点で歴史資料を読み解く

続いては、刑事訴訟法を専門とする黒澤睦先生が、展示資料を刑事裁判の証拠に見立て、裁判官と歴史研究者との共通点を解説しました。

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「刑事訴訟法」とは、犯罪捜査や刑事裁判はどのように行うのが良いかを考える学問。黒澤先生は、その中でも特に犯罪被害者が刑事裁判にどう関わっていくべきかを研究しています

「裁判官も歴史研究者も、過去の事件や犯罪を直接体験していません。残された史料や証拠を手がかりに、過去の事実を組み立てているという点では共通するものがあると感じています」

そう話す黒澤先生は、「大前提」と「小前提」から「結論」を導き出す「法的三段論法」を村山騒動にあてはめて解説しました。これは、刑事裁判において法律を具体的な事実へ適用する際に常に法律家が意識しておくプロセスだそう。まず、どのような法律が存在しているかルールを確認する「大前提」は、民衆に徒党や強訴(強硬な態度で相手に訴えかける行動)を禁止した高札がそれに当たるといいます。そして、要求書や報告書などの資料から何が事実かを認定するのが「小前提」。その上で、起きた行為が禁止されている強訴などに当たるかを判断し「結論」を出すというのが「法的三段論法」です。

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高札。法令などを書き、民衆の目につきやすい場所に掲げた。写真はくずし字を楷書に書き起こしたもの。

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刑事裁判における「法的三段論法」に村山騒動をあてはめた場合

黒澤先生はさらに、刑事訴訟法では事実認定を証拠に基づいて行うことが定められていることや、各証拠をどこまで信用するかは裁判官の判断に委ねられていることを紹介しました。

「もちろん、無制約というわけではなく、裁判官には経験則や論理則に沿った判断が求められます。言葉をそのまま事実として受け取らず、作成された状況や資料との整合性を確かめ、合理的かつ科学的に評価することは、刑事裁判でも歴史資料を読む上でも欠かせない視点だと考えます」

講演後、合田先生は16世紀の哲学者であるミシェル・ド・モンテーニュが37歳で裁判官の職を離れ、「私は裁くのをやめる」と記した逸話を紹介。モンテーニュは物事を断定せずに中立的な態度をとる思想家だったことにふれ、裁判官の判断によって他者を裁く責任の重さを問いかけました。

これに対して黒澤先生は、裁判官だけでなく市民から選ばれる裁判員も重大な判断を担うことから、モンテーニュが「裁くのをやめる」と考えた心情には理解を示しました。その一方で、「十分に検討しても有罪と認定できない場合には、推定無罪の原則に基づき無罪とする決まりがある」と説明し、法制度が判断の拠り所を示していることを紹介しました。

暴力・階層・協力を生物学から捉える

最後に講演したのは、認知科学を研究する石川幹人先生です。村山騒動を人間の進化と集団心理から考察しました。

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石川先生は心理学、生物学、脳科学、人類学、言語学、情報学を横断して究明。なかでも重視しているのは生物学だと話します

石川先生によると、動物にとって「暴力」は、食料や居住地を確保し、子孫を残すための手段でもあるそう。人間にも資源を争う性質は残っていますが、同時に理性や社会制度を育むことで暴力抑制に成功してきたと言います。

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「私たちは暴力的な本能を持ってはいるけれども、文明の工夫を重ね、戦いを減らすことにも成功している」と、石川先生

続いて石川先生は、支配や服従、怒り、攻撃性へ傾く心や行動の傾向を「サルの心」、友情や共感、公平な分配、協力を支える働きを「ヒトの心」と表現しました。

「人間はこの両方を抱え、文明社会では階層をつくりながら大勢で協力してきました。しかし食料が不足すると、資源は上位層へ優先的に配られ、下位層には届きにくくなります。この一般モデルに照らせば、村山騒動は、食料の配分から取り残された側の抵抗だったのではないかと読むこともできるわけです」

さらに、「互いの顔や性格を把握しながら協力できる集団は、約150人が目安とされます。それを超える社会では、宗教、肩書、契約、法律、貨幣などの記号が、見知らぬ人同士の信頼を補ってきました」と話す石川先生。そして、村山騒動には1600人もの民衆が参加したことにふれ、「『天下儀士』という呼称は、自らの行動を正当化し、参加者をまとめあげる政治的な宣伝になっていたのかもしれません」と持論を展開しました。

学問が異なると展示の輪郭も変わって見える

同じ展示資料から、さまざまな視点が交差したシンポジウム。最後には、4人の先生が大学で学ぶ意味にもふれました。

石川先生が呼びかけたのは、専門の枠を越えて学ぶ姿勢です。「研究対象だけを見つめるのではなく、周辺の事例や別分野にもふれるほど、研究の射程は広がります。ぜひ、対象外のものを知る教養も磨いてください」

黒澤先生は「高校までは学ぶほど知識が増え、わかる内容も増えます。ところが、大学では学ぶほど疑問が広がります。その広がりに気づいた地点から学問が始まるのです」と説明しました。また、明治大学には所属する学部以外の学びを深められる「副専攻プログラム」があることも紹介。自身も今回、他分野の講演を聞いたことで新たな疑問や発見を得たと振り返り、学問分野を越えて学ぶ意義を語りました。

合田先生は右手と左手で異なる拍子を刻むよう会場に促し、このような複数のリズムが重なることを「ポリリズム」と紹介。そして、「複数のリズムを身につけた人ほど、物事への対応の幅が広がります。明治大学も、ポリリズムを形成する場になってくれることを願います」とメッセージを送りました。

最後に須田先生は「研究は楽しい」としみじみ噛み締めながら、「大学は心からおもしろいと思える研究と出会う場です」と語りました。そして、インターネット検索やAIから手軽に知識を得られる時代だからこそ、単なる情報収集ではなく教養が重要になるとし、「教養とは知識を主体的に吸収し、自らの行動を律していく力です」と語りました。また「大学は若者だけの空間ではない」とも強調し、「楽しい学びの世界に、いくつになっても何度でも来てほしい」と、会場へ呼びかけました。


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※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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