
戦後80年を迎えた2025年、戦争を直接体験した人々の多くはすでに亡くなっています。ご存命の証言者がわずかになったいま、私たちは何を手がかりに戦争の記憶を受け継いでいけばよいのでしょうか。その答えの一端が、街のなかに見つかります。空襲の炎を生き延び、焼け焦げた痕をいまも幹に刻む「戦災樹木」です。
私たちの生活圏にも存在する「戦災樹木」
数年前より、徐々に「戦争の記憶をいかに後代に伝えていくか」という議論が盛んになってきました。特に戦後80年となった2025年は、その議論が一つのピークを迎えた年だったように感じられます。
80年という年月は、人間の寿命ともほぼ重なります。そのため、戦争を自らの体験として記憶している人々の多くはすでに亡くなり、直接話を聞くことができる方はごくわずかになりました。戦争に関するさまざまな記憶を残そうとしてきた人々にとっては、明確なタイムリミットを意識させられた戦後80年目だったと思います。
広島や長崎の原爆資料館など、国や自治体の手厚い支援のもとに研究や資料収集が進んでいる施設もありますが、主要都市の多くが甚大な空襲被害を受けたにもかかわらず、その被災規模に見合った資料館や博物館を有する都市は少ないのが現状です。沖縄には沖縄県平和祈念資料館という大規模な施設があり、姫路市や仙台市、大阪府(市)など健闘している自治体も存在するものの、他の先進国の同種の施設と比べると十分とは言いがたい状況にあります。
一方で、東京都や甲府市のように民間主導で資料収集や調査を進めている例もあれば、松山市のようにこれから若い世代を中心に戦争の記憶を掘り起こそうとする動きが始まっている地域もあります。
長らく靖国問題が横たわっていることが自由な議論を難しくしている面もありますが、もう本当に残り時間がないことを自覚し、日本人自身が過去の戦争をしっかり歴史的事実や物証とともに整理、評価し、かつて深刻な被害を与えた周辺諸国に対しても、堂々とそれらを提示できるような「場」が求められていると思います。
私が研究している「戦災樹木」は、こうした大きな課題と比べれば、人々の関心さえ向けば比較的取り組みやすく、保全もしやすい対象だと考えています。実は、私たちが気づかないだけで、私たちの身の回りには今もなお戦争の痕跡を生々しく刻み込んだ樹木が少なからず存在しています。
たとえば、明治大学駿河台キャンパスのアカデミーコモンの敷地内にも、幹の片側が焼けた戦災樹木と推定されるイチョウがあります。注意して見なければ見過ごしてしまいますが、確かにそこには戦争の痕跡が残っているのです。
戦争で傷ついた樹木の焦げ跡は、戦後の復興期に削られたり樹脂で隠されたりした例が少なくないのですが、そういった存在を知らせるだけで、現代の私たちにとってどこか非現実的になりがちな戦争という歴史的事実を、ぐっと身近なものとして感じることが可能になるのではないかと考えています。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。
