東京を代表する戦災樹木の一つ、光圓寺の大イチョウ
私が研究対象とする以前にも、紀行文やエッセイの形で戦災樹木を取り扱った書籍は数少ないながらも存在しました。しかし、一本一本の樹木について樹種を特定し、大きさや損傷の程度を測定して、客観的に観察・記録するという学術的な試みは、これまでほとんど行われてきませんでした。そうした意味で、私が2023年に刊行した『蘇る戦災樹木』は、戦災樹木を本格的に扱った最初の書籍になったのではないかと考えています。
そもそも、戦災樹木という概念自体、以前から明確に定義されていたわけではありません。そのため研究を進めるにあたっては、何を戦災樹木と呼ぶのかを自分自身で一から定める必要がありました。
まず、第一の条件として重視したのは、空襲などの戦災を受けたエリア内に存在する樹木であることです。戦災エリアについては、戦後間もない時期に作成された非常に詳細な地図資料が残されています。終戦直後、戦地から帰還した数多くの元軍人が最初に知りたかった情報が「我が家は無事なのか」だったため、戦後間もない混乱期にも関わらず、このような詳細な地図が作成されたのでした。それらを参照し、明確に被災が記録されている区域のなかに立っている樹木であることを基礎的な前提条件としました。
第二の条件は樹齢です。戦後80年が経過している現在、戦時中に存在していた樹木であれば、当然ながら樹齢は80年以上である必要があります。若い樹木が戦災を直接受けた可能性はありませんから、この点は重要な判断基準になります。
そして第三の条件としては、焦げ跡や大きな傷跡など、戦災によると考えられる明確な損傷が外見から確認できることが挙げられます。地域の言い伝えなどで「戦火を生き延びた木」と語られていても、外見上は一般的な樹木と変わらず、損傷の痕跡が見られない場合は、調査対象からは外しています。「戦争の悲惨さを今に伝える存在こそ戦災樹木である」としたためです。その一方で、誰が見ても戦災に遭ったことが分かる状態の樹木を、暫定的に「推定戦災樹木」として分類することにしました。
上記に加えて、文書記録または口承といった裏付けとなる情報が確認できた場合、その推定戦災樹木を「戦災樹木」として確定しています。当時の空襲の直接の体験者は少なくなっていますので、その子ども世代や孫世代に「この木は空襲で焼かれた」という話が具体的に伝えられている場合もこれに該当することとしました。
空襲被災エリアに存在し、樹齢も十分に古く、明らかな焦げ跡があるにもかかわらず、記録や証言が得られないために「推定戦災樹木」にとどまっている例は数多くあります。実際、2025年までの調査では、東京都23区内で確定できた戦災樹木が約220本であるのに対し、推定戦災樹木は約240本に上っています。
ところで、戦災樹木と聞くと、今にも枯れそうな老木を想像されがちですが、実際にはそうしたものばかりではありません。大きな傷を受けながらも驚くほどの生命力を感じさせる樹木もあり、この姿でなお命をつないでいることに感動や畏怖の念を覚えることも少なくありません。
なかには焼夷弾を受けたことで樹木の性質そのものが変化したと考えられる例もあります。たとえば茨城県水戸市にあるケヤキの大木は、本来白くならないはずの幹が全体的に白く変色しています。紅葉の季節には真っ白な幹と赤い葉が鮮やかなコントラストを生み、強い印象を放つ存在となっています。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。
