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2026.06.11

焼け残った木々は何を見てきたのか?戦禍の記憶を伝える「戦災樹木」

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都市開発や管理不足による樹木の減少

 『蘇る戦災樹木』を刊行した後も、調査と研究は継続しています。2025年現在では、書籍に収録した数の約2倍にあたる戦災樹木あるいは推定戦災樹木を確認・調査済みです。

 戦災樹木の有無や本数には明らかな地域差がありますが、空襲を受けた都市だからといって必ずしも戦災樹木が多く残っているわけではありません。たとえば、戦艦大和の建造などで知られる広島県呉市は戦時中に大規模な空襲を受けた都市ですが、私の調査ではこれまでのところ戦災樹木を確認することはできていません。また、焼夷弾が極めて高密度に投下された兵庫県神戸市でも、最近になるまで戦災樹木は見つけられませんでした。

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兵庫県神戸市・生田神社境内にある戦災樹木

 この結果については、いくつかの要因が考えられます。一つには、あまりにも激しい空襲を受けた地域では、街全体が焼け野原となり、当時存在していた樹木自体が生き残れなかった可能性があります。もう一つは、都市部における戦後復興の過程で行われた都市計画の影響です。道路拡張や区画整理、公園整備などの名のもとに、戦災を受けた樹木が撤去されたケースも少なくなかったのではないかと考えています。

 現在残されている戦災樹木の保存状態は、実にさまざまです。ウレタンなどの樹脂やセメントで傷口を埋めたもの、焼け跡そのものを削り取ってしまったものもあります。戦災直後の復興期には、これから街を再建していくという状況のなかで、焦げ跡や大きな傷を負った樹木を、できるだけ見せたくない、忘れたいという心理が働いたのではないかと想像されます。神奈川県横浜市の日本大通りのように、都市の象徴的な場所に立つ樹木ほど傷跡を隠そうとする処置が施されている例が多く見られます。

 しかし、こうした補修は時間の経過とともに別の問題を引き起こします。コンクリートはひび割れ、樹脂で覆った部分は剥がれ落ち、かえって痛々しく、見る人によってはグロテスクな印象を与えてしまうこともあります。

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東京都新宿区・鎧神社の補修跡が痛々しい戦災樹木のイチョウ

 傷を負った樹木が戦争のつらい記憶を呼び起こす存在であったという、当時を生きた人々の感情は理解できます。それでも私は、戦災樹木を保存し、その存在を後世に伝えていく意義は極めて大きいと考えています。

 戦後間もない頃は「一緒に戦火を生き残った樹木」として大切にされてきたものですら、人々の代替わりが進んで、その歴史的経緯が忘れられるとともに、伐採されたり、管理が行き届かず枯死したりしています。手遅れになる前に何とかこの状況に歯止めをかけたい——それが、私が研究を続ける大きな動機の一つです。

英語版はこちら

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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