
社会生活全般において、“真実”を欲する姿勢が弱まっているように感じます。皆が言っているからと自分も同じ意見を口にすること、皆がやっているからと同じ振る舞いをすることへの用心や注意を欠いた人が増えているようにも見てとれます。その危険性や防止策について、スペインを代表する思想家オルテガ=イ=ガセット(1883~1955年)の論書『大衆の反逆』と、スペインの国民的作家ベニート・ペレス=ガルドス(1843~1920年)の小説『スカートをはいたドン・キホーテ』、《国史挿話》を参考に考えます。
19世紀最後の30年間に始まり、今なお繰り返される“野蛮への後退”
ある情報が“真実”かどうかに不安を感じることもなく、自分の意見を発信する。そればかりか、相手にレッテルを貼ることによって、自分の意見が断固正しいものとして押しつける。そういった攻撃的な態度に出る人が、ソーシャルメディアが普及したことによって増えてきました。不安を感じないからこそ、気楽に発信してしまうわけです。
在外研究で2024年度末まで2年間滞在したスペインでは、国会や地方議会において敵対する政党の支持を低下させるためなら何をしても構わない、といった姿勢が珍しくありませんでした。首相(ペドロ・サンチェス)やその家族に対し、まったく客観的根拠を示さないネット記事にもとづく個人攻撃、そして告発が今も繰り返されています。従来メディアも、真実よりもエンターテインメント性が第一であるかのように、より劇的な情報を好んで流し続けるのです。
SNSや抗議運動を通じて発せられる感情的で個人攻撃的な圧力は、今や政治的判断を左右しかねません。その状況に堪えかね、志のある政治家が辞任することも起きています。たとえば2023年、ニュージーランド首相だったジャシンダ・アーダーンは、「政治の重責を果たすためのエネルギーがもう十分に残っていないと感じた」といった趣旨の発言をし、いきなり政界を去る決断をしました。
現代社会にはびこる、“真実”を欲する姿勢を持たないことを、『大衆の反逆』(1930年)のなかでオルテガは“野蛮”だと断定し、スペインでは19世紀最後の30年間に、大衆による“野蛮への後退”が始まったと述べています。注目すべきは、オルテガがこの現象を「民衆」ではなく「大衆」という言葉で捉えている点です。
「民衆」という概念は、フランス革命期、ブルジョアジーを中心とする第三階級の下に位置づけられた「第四身分」として理解されてきました。これに対しオルテガのいう「大衆」は、社会的階級による区分とは無関係に、人間としての質的なあり方によって規定される存在です。他人の話を聞く習慣を失い、自分の意見を他人に押しつけることに何の疑いももたない態度こそが、「大衆」の本質だとオルテガは批判しました。
スペインでは、1868年の九月革命によって女王を追い出し、自分たちで新たな国王を選ぶものの、政治的混乱から1873年に国王は退位し、第一共和政となります。しかし、それでも混乱は収まらず、1年も経たずに軍事クーデターによってブルボン朝の王政が復古。その後、1923年~30年までプリモ・デ・リベラ将軍による軍事独裁が行われ、1931年の選挙を機に第二共和政が成立します。しかし、この体制も長くは続かず、ファシズム勢力の拡大と軍の反乱によって1936年にスペイン内戦が勃発し、1939年にフランコ独裁体制へと至りました。
オルテガはこのような歴史のなかで、自由主義の価値を理解せず、いっさいの義務を放棄した大衆の台頭を非難します。結局、大衆は第一共和政が失敗したことに学ばず、新しいユートピアがやってくるのだとファシズムやサンディカリズムに飛びついてしまった。自由主義を捨てこれら新しい運動に期待する態度を“野蛮への後退”とみなしたのです。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。
