
人生のターニングポイントマスメディアの力を借りてファッションの伝播を促そうとしたことへの疑問が研究の始まり
教授陣によるリレーコラム/人生のターニングポイント【103】
私のターニングポイントは、自身の仕事に疑問をもち、研究の道に進んだことです。
最初に就職した日本の繊維メーカーではPRの仕事を担っていたものの、やはりブランドで働きたいという思いから、アメリカのファッションブランドに転職しました。そこでもPRを担当しましたが、当時はマスメディアの力が圧倒的だった時代です。ファッション雑誌に商品を載せると、お客様からの問い合わせが数多く寄せられました。そのことで疑問が生じ始めます。
自分はマスメディアを使って人の趣味や思考をコントロールし、消費させようとしているのではないか。しかも日本人なのに、アメリカのファッションを日本に促進しようと努めている。そもそも日本のファッション、日本文化とは何なのだろうかと感じて退職し、日本の伝統工芸である窯元で働き始めます。しかしそこでも、自分が生きている現代の日本文化とは何なのかが知りたくなり、選んだ道が独立大学院への進学でした。
売上や利益を最優先する企業論理から逃れ、消費を俯瞰し、自分の考えをまとめたい。ファッションブランドの考えを忠実に伝えるのがPRの仕事でしたが、論文なら自分が考えた意見を述べることができるはず。今のこの疑問をなんとか研究にしてみようと模索し始めました。
社会の変化を視覚的に表象する代表例ともいうべきファッションは、さまざまな学問分野で論じられてきています。しかしファッション自体は学問分野でなく、学際的な研究対象として扱われているものといえます。
たとえば文学であれば、誰々の作品には重みがあり、分析して後世まで残すべき価値があるとされますが、ファッションが描かれるメディアは、雑誌がその代表格でしたが、昨今ではオンライン展開をする雑誌、また個人のSNSなどがみられます。ファッション雑誌は当時の風俗を知る歴史的資料として価値がでてくるものの、通常はある一定の期間しかそこに掲載されている情報価値が継続しないファッションメディア、さらにはその中でも一過性の衣服等の流行情報であるファッションを取り扱うファッションメディアを研究資料として分析対象にすること自体、ハードルが高かったのです。
研究するにあたってフランス語を一から勉強し、やがて留学しますが、そこでの先生がまさに、芸術としての文学作品と、一週間の映画、コンサートなどの情報を掲載する雑誌を同じ方法論で分析するという画期的な授業をされていたのです。資料体の価値ではなく、現象として同じような枠組みで分析できることを見せてくださり、感銘を受けたことが今の研究の土台となっています。
さらにそこからフランスで約4年の留学生活、またリトアニアの大学で約8年研究者・教員生活を過ごし、向こうの生活者のレベルで日本を見直すことができたのは、今の研究の糧にもなっています。同じヨーロッパでも西側と東側との両方を経験できたことは大きく、日本を外から検討する視点をもてるようになりました。
現代情報社会の当たり前を学際的視点から検討する、という明治大学情報コミュニケーション学部に着任したことを機に日本に戻ることになり、ようやく科研費の申請や獲得ができるようになりました。おかげで既存の伝統的分野ではない自分の研究分野を確立させる道が開け、いまもその道半ばです。自分の身近なところで感じた疑問をそのままにせず、答えを得るために行動することで開ける道があることを、私は身をもって感じています。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。