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アメリカで感じた「世界」は一部に過ぎないと、カザフスタンで思い知った
2024.10.02

人生のターニングポイントアメリカで感じた「世界」は一部に過ぎないと、カザフスタンで思い知った

リレーコラム
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教授陣によるリレーコラム/人生のターニングポイント【85】

私にとっての大きなターニングポイントは、カザフスタンで3年間過ごしたことです。アメリカの大学院を卒業した後、最初に赴任したのがカザフスタンに所在するナザルバエフ大学でした。アメリカに行って世界を見た気でいましたが、まだその一部分しか見えていなかったことを思い知らされました。

アメリカなどの民主主義国家とは異なり、カザフスタンは権威主義国家と呼ばれる国々の一つです。そのような国でも近年は選挙を実施している国がほとんどで、カザフスタンでも選挙があります。しかし現地での学生たちに話を聞くと、権威主義体制下における投票行動には、今まで私が想像しなかったような要因が登場することがわかりました。

たとえば、投票棄権は反政府の意思を示す活動の一つだ、という考えが当たり前のように語られます。民主主義国家だけを見ていると、投票に行くのが能動的かつコストのかかる行動で、棄権をするのはコストフリーかつ受動的な行動だと考えがちです。私も無意識にそのような前提を置いていたように感じます。ところがカザフスタンのような権威主義国家では、基本的には選挙へ行くことを強要されるため、棄権をするという行動はリスクが生じる能動的な行動になる場合もある、ということを学びました。

逆に、投票に行く理由を訊ねると、自分の1票を政府に使われないためだと言うのです。票というのは勝手に使われるおそれがあるものだと一般的に認識されていて、「選挙操作の一部として組み込まれないで済む」と考える。私自身は考えたことのない論理でした。日本でも同調圧力、とくに地方の政治においては、投票に行かない人が監視されるシーンもあります。権威主義体制の国の学生と話すことで、民主主義では覆い隠されがちな側面が見えてくることが多くありました。

ニュースメディアの信頼度については、日本でも下がってきていると言われますが、それでも政府が発表している数字などは普通、信じますよね。しかしカザフスタンの人々は、「政府は嘘を言っている」という前提から始まるので、数字に左右されにくいのです。政府と国民が乖離していることで、他国に関してもその国の政府と国民を同一視する傾向が小さいように感じました。日本人にありがちな「中国政府が嫌いだから中国人も嫌い」といったことが起こりにくいわけです。

まったく異なる環境に身を置くことで、研究の視野が広がる貴重な経験になったと感じています。自分の見方が、いかに自分の置かれている環境に囚われているかを考えてみるのは重要かもしれません。日本にいると、ある程度10年後の自分も想像できますが、明日何が起きるか、政策がいつどう変わるか予測できない国もたくさんあります。自分の意見のどこまでが「日本にいるからこそ」のものなのか。切り分けて考えてみると、自分に対する理解もより深まると思います。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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