
感染症、戦争、貧困など、さまざまな社会問題の解決が求められるなか、研究では「役に立つ実学」が重視される風潮があります。しかし、そもそも問題を理解するためには、人間社会そのものを解きほぐさねばなりません。たとえば大衆的な芸術作品に時代の感性や技術の発展を見る視座。そのアプローチのひとつに「映画学」があります。
ただ生きるだけではものたりない
人間にとって一番重要なものはなんでしょうか? たしかに衣食住は生きるのに欠かせません。ですが、みなさんコロナ禍の自粛生活でわかったと思います。人はただ生きるだけでは満たされず、むしろ「余計なもの」こそを大切にしているのだと。
私自身、リモートワーク普及の例にもれず、学会がパソコンの画面越しになりました。そこでは各々が発表した後、質疑応答をして終わります。表面上はコロナ以前の進行と変わりません。しかし、私たち参加者には不満が残りました。
なぜなら、コーヒーブレイクがなかったからです。もちろん私は無性にクッキーが食べたかったわけではありません。欲していたのは顔を合わせたついでの会話、つまり雑談の機会でした。
雑談のような人の営みは、食事や睡眠のような生存のための最低限の行為とは異なります。また、多くの場合は実用的な目的を持っていません。その意味では「余計なもの」だと言えるでしょう。
しかし、同僚や友人と雑談をしていて、突然、自分の課題や考え事とつながり、大きなヒントになったという経験は誰にでもあると思います。「余計なもの」は今すぐに役に立つかはわかりませんが、だからといって無価値と決めつけるわけにはいかないのです。
現代の日本社会では、多くの人が「あなたは何の役に立つのか」と迫られ、しかも、ものすごいスピードで結果を求められます。いわゆる新自由主義の流れで「役に立たないことは避ける」という思想が広がっています。
しかし、そのような考え方は間違っていると思います。短絡的な見方に過ぎません。
私は映画学の研究者であり、日本映画を専門にしていますが、それ自体は食糧を用意したり、住まいを供給したり、あるいは病気の新しい治療法を見つけたりする種類の研究ではありません。
ただし、映画研究が「作品を鑑賞して感想を述べる」だけかというと、それは違います。
なぜならば、映画学とは、映画という表現形態の発展過程を理解し、作品を通じて人間の社会と時代精神を探ろうとする学問だからです。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。