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2023.06.07

映画の歴史から、社会の歩みが見えてくる

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社会が映画に与える影響

 まず、映画学では「最初の映画は何か」という問いから考え始めます。映画の歴史は比較的浅く、写真技術が確立された後の19世紀末から本格的に始まりました。

 日本における最初の「活動写真」は、1896年に紹介されたエジソン社のキネトスコープです。これはスクリーンでの上映ではなく、一人でしか見られない木箱で、わずか数秒の連続映像でした。

 その翌年には、日本でリュミエール社のシネマトグラフが初めて映写され、大勢で同時に楽しむ見世物小屋が登場します。キネトスコープと比べて長い映像を録画することができ、圧倒的な人気を得て、以後100年以上にわたる映画鑑賞の形式の基礎を築きます。

 その後、映画は日常の記録と物語に加えて、時事的な出来事を録画して伝えるニュースの機能を持つようになります。日本の場合は1904〜5年の日露戦争が契機でした。当時、テレビはもちろん存在せず、写真も少なかったので、映画が伝える戦争の視覚的な情報は国民にとって極めて重要だったことでしょう。

 やがて1920年代後半になると、世界的に無声映画からトーキーへの移行が始まりました。
この当時、西洋では「トーキーの出現で映画の芸術性が失われる」という異論が起こっています。

 たとえばドイツの映画理論家ルドルフ・アルンハイムは、現実との間にギャップがあるのが芸術の本質であると論じ、映画的経験を現実に近づけるトーキーを批判しました。映画の主眼は映像を動かすことにあって、すなわち絵画のような音声・言語に頼らない芸術である、という考え方です。

 他方、日本では映画の到来以来、ストーリーを説明する語り部の存在が重要な役割を担ってきました。彼らは弁士と呼ばれ、その存在は平安時代の絵解きにまで遡る日本の伝統的話芸に基づいており、大衆的なスターでした。

 日本の多くの観客にとっては、映画の魅力は映像ではなく、むしろ人気弁士の語り、つまり音声・言語にあったと考えられます。

 このように映画は、当時の科学的技術力、国内外の政治状況、芸術思想の潮流、大衆の文化と流行、製作者や出資者の事情など、その社会に存在するあらゆる要素から影響を受けているのです。

 みなさんも過去の古い映画を見ると、現在の映画とは何かしら違うものを感じることでしょう。映画学ではその違いを、社会が作品へもたらした影響の観点で把握しようと努めます。

 逆に言えば、映画に影響を与えている要素から当時の社会像を浮き彫りにするのであり、ひるがえって私たちの社会はどうか? という現代の問題と向き合うきっかけにもなり得ます。

 たとえば、日中戦争の初期に作られた映画作品の研究は、社会と戦争の関係、あるいは戦後の再解釈の点において、まさに現代的な複数の問題とつながっているように思えます。

英語版はこちら

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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