
「評価」されるというと、あまり良いイメージはないと思います。しかし、アメリカで発展した評価論は、単にランキングをつけたり、良し悪しを指摘することだけではありません。実は、いま、世界中が直面している社会課題を多様なアクターとともに協働で解決していく道具のひとつとして、この「評価」が注目されています。
評価は対話から始まる
私が評価論を学んだきっかけは、JICA(国際協力機構)で仕事をしていたときに、開発援助のプロジェクト評価に海外の援助機関の人たちと一緒に取組んだことでした。評価には人事評価、組織評価、事業評価などいろいろありますが、ここでは社会課題解決のための社会的介入(施策、事業、プロジェクトなどの呼び名があります)の評価についてお話します。
evaluationを訳すと「評価」ですが、それは、日本で思われている成績付けや管理のための「評価」のイメージとは少し異なる考え方なのです。
例えば、私が、JICAが支援するアフリカのケニアのスラムで暮らす人たちの生活改善プロジェクトを評価する仕事に関わったときのことです。
評価なので何らかの測定が必要なのですが、スラムの人たちの生活がどの程度改善されたのかをどうやって把握すればいいのか。測りやすい一般的指標で点数をつければ良いのかといえば、決してそうではありません。
例えば、日本人であれば、生活改善とは経済的に豊かになることをイメージするかもしれません。だとすれば、人々の所得がどれくらい上がったのかを調査すれば評価できることになります。
しかし、現地で調査を進めていくと、きびしい生活環境の中でまず彼らが求めていたことは、子どもたちを学校に行かせることとか、1日2回食事がとれるようになるとか、自分たちで何かを始められるようになることでした。
それらの現状を理解せずに測りやすい指標のみで評価をすれば、それは、的外れな評価になってしまいます。
重要なのは、評価する側が、評価される側やプロジェクトに関わる人たちと対話をしながら、プロジェクト実施の「意義」や「価値」を確認し、その価値が生み出されているのかを確認しながら評価を進めることです。
つまり、そのプロジェクトはなんのために行われるのか、それはどんな価値を生み出すのか、それをステークホルダーの間で共有することが、評価の第一歩になるのです。このような関係者とともに評価を行うアプローチは、「協働型評価」、「参加型評価」と呼ばれています。これは多くのステークホルダーが関わる事業では有効な評価であると思います。
こうして考えてみると、評価は「成果」や「結果」を問うことだけではないということがわかります。社会課題解決に取り組む事業では、社会的に良いことを生み出すためにどのような戦略が妥当かという視点や、実施途中の評価をふまえた見直しが、結果の評価よりも重要であると私は考えています。
なぜならば、評価は改善のために使われなければ、現場で汗をかいている人たちにとって「成績付けをされている」というプレッシャーになり、現場のチャレンジ精神を削ぐ可能性があるからです。
もちろん、プロジェクトの結果や成果の測定も重要です。その測定の中に所得のデータもあるかもしれません。しかし、それは、プロジェクトの価値を判断するための客観的なエビデンスにすぎません。データそのものは中立です。それを価値づけることが「評価」なのです。
evaluationはラテン語のe(外へ)とvalue(価値)が語源であるように、「価値を外へ引き出す、見出す」行為なのです。協働型評価では関係者が納得する価値判断が必要です。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。