座右の銘、私のモットー「才能というのは執念である」
教授陣によるリレーコラム/座右の銘、私のモットー【13】
大学院時代、指導教員から繰り返し言われていた言葉があります。「才能っていうのは執念だよ」。
もちろん、研究には知識や発想力も必要です。しかし、実際に何かを突き詰めようとすると、最後にものを言うのは「どれだけその対象に食らいつけるか」なのではないかと思います。
とくに博士論文では近代日本における都市計画技術の導入と定着の過程を扱ったのですが、その執筆のために集めた資料はデスクの上に山のように積み上がっていました。読み進めても、すぐに何か面白い発見があるわけではありません。むしろ最初のうちは無味乾燥な情報の連続で、途方もない作業に感じられることのほうが多かったです。
それでも読み続けていると、ある瞬間、ばらばらだった情報が突然つながり始めることがあります。それまで意味のない断片に見えていた記述が別の資料と結びつき、一つの歴史的な流れとして立ち上がってくる。まるで暗闇の中に光が差し込むような感覚でした。
そして一度その感覚を経験すると、今度はそれまで退屈に見えていた資料がまったく違って見えるようになる。私にとって研究の面白さとは、まさにそういう瞬間にあります。そして、あの感覚をもう一度味わいたいという思いが、次の研究へ向かう原動力になっている気がします。
加えて、私の研究は都市計画や建築、造園のような既存の学問分野を前提にしつつも、他の角度から考えることでもっと異なる問題を引き出すことができないかという意識と好奇心のなかで進められてきました。その結果、必然的に学際的な様相を帯びています。
ただ、他の人があまりやっていない角度から問いを立てようとすると、どうしても踏ん張らなければならない場面が出てきます。既存の前提を疑い、自分で問いを立て、改めて資料を探し直し、そのようにして進める作業にいかなる意義があるのか、他者を説得しなければならない。だからこそ、そこでもやはり必要になるのが「執念」なのです。
近年は研究の世界でもAIの活用が急速に進んでいます。大量の情報を収集し、整理し、要約するという点で、AIは非常に強力なツールです。実際、多くの人がそうした使い方をしていると思います。
一方で私は、人間が自分自身の手でデータを集め、それを解釈することには依然として大きな意味があると考えています。膨大な資料に触れ、自分なりに整理し、考え続ける過程そのものが人間の思考を鍛えるからです。
AIは、最大公約数的な答えを導き出すことには非常に長けています。しかし、人間にしかできないのは、一見無関係に見える情報同士を結びつけ、そこから思いもよらない問いや発想を生み出すことではないでしょうか。こうしたエッジの効いた思考、あるいは既存の見方とは異なる「別解」を考案していくためには、やはり自分自身の身体を通して蓄積された知識や経験が不可欠だと思います。
「執念」も「学際性」も道半ばではありますが、こうした思いを胸に抱えて、近代都市という大きな謎をこれからも探究していきたいと考えています。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。
