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企業法務時代の出向と「現代思想フォーラム事件」
2024.12.04

人生のターニングポイント企業法務時代の出向と「現代思想フォーラム事件」

リレーコラム
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教授陣によるリレーコラム/人生のターニングポイント【94】

1997年に富士通の法務部から、当時富士通と日商岩井の合弁会社であったニフティへ法務責任者として出向したことは、私のキャリアにとって大きな出来事でした。

それまでは、企業法務のうち、国際的な知的財産のライセンスやいわゆるM&Aと呼ばれる戦略的な合併・買収をサポートする業務が主でした。

私自身もそのスペシャリストを目指し、1993年~1994年に米国のコーネル大学に企業派遣され、法学修士の学位とニューヨーク州弁護士の資格を得ていたので、ニフティへの出向は意外でした。

当時のニフティは現在のSNSに相当するようなパソコン通信サービスの最大手でした。
なかでも「フォーラム」という電子会議室群のサービスは、会員の様々な情報や意見交換の場として運営されていました。

ところが「現代思想フォーラム」という哲学を語る場における発言をめぐり、誹謗中傷発言の被害者であるとする会員が、その発言者やシスオペ(モデレータ)、ニフティらを被告として裁判を起こしました。日本ではじめてのネット上の誹謗中傷に関する訴訟、しかもモデレータとそれを任せた事業会社のコンテンツモデレーション責任の有無を問う裁判です(ニフティサーブ現代思想フォーラム事件)。

私は、この裁判が進行している最中に放り込まれたのです。着任したときは第1審の東京地裁で敗訴し、東京高裁に控訴している段階でした。

控訴審では、ニフティとモデレータは逆転勝利しました。同時並行してプロバイダの責任に関する立法が総務省(当時郵政省)で議論されていました。

そして、この裁判の第1審の基準でプロバイダの損害賠償責任の有無が判断されてよいものかどうかを含め、欧米の法制や裁判例なども参照してできあがったのが「プロバイダ責任制限法」という日本の法律です。

私は、この議論に参加したことをきっかけに、プロバイダ責任に関する解釈論をはじめとする情報法の世界に入ったのです。もっとも、研究者としてすぐ転身したいと考えていたわけではなく、あくまでも企業内法務のプロとして、あるいは関連する立法に関与するロビイストとして富士通グループ内で勤め上げようとしていました。

その後、情報ネットワーク法学会という学会の立ち上げに関わり、理事などを務め、時折、論文や著書などを出したりしていましたが、企業人としての定年前の2018年に明治大学の専任教授として採用されました。

ビジネスパーソンの方々も、会社から出向を命じられて、挫けたりすることがあるかもしれません。しかし、そこでの難題に正面から取り組めば、仮に乗り越えることができなくても、自分の成長やキャリアアップにつながるのではないかと思います。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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