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「自由に生きていい」、大きく包み込んでくれたイタリアの“社会”
2024.10.16

人生のターニングポイント「自由に生きていい」、大きく包み込んでくれたイタリアの“社会”

リレーコラム
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教授陣によるリレーコラム/人生のターニングポイント【87】

私のターニングポイントは、研究室の先輩の紹介により2003年に1年間、イタリアに留学したことです。イタリア語の勉強も十分にできておらず苦労しましたが、初めて長期で滞在した外国となり、日本とは異なる社会や、人々の生活のありようなど、さまざまな気づきがありました。

もともと主たる研究対象としていたのはドイツだったのですが、イタリアのことも関心をもってフォローはしていました。そのため、嬉しいお話をいただいたと積極的に引き受けたのです。

イタリアで暮らすなかでとくに感じたのは、“社会”の位置づけが非常に重要な意味をもっていることです。国の制度とは別の次元で、人と人とのつながりによって構成されるのが、イタリアにとっての社会だと考えます。

日本にいた頃は、社会を独立した存在として認識し、一つのまとまりだと意識することなど、ほぼありませんでした。しかしイタリアでは、社会というものに大きな存在感があります。国レベルではないつながりの強さが、イタリアがもつ「しぶとさ」のような、独自の魅力にもつながっているように思えました。

イタリアには、自分が社会を支えていることへの誇り、守られていることへの安心感を持ちやすい風土があります。国よりさらに身近なレベルである社会からの支えが、彼らの生きる力にもつながっている。日本では、個人個人が一人で立って生きていかなければならないと当然のように捉えていることでも、イタリアでは、社会みんなで支え合っている印象です。社会に支えられていることが人生の基盤になるという感覚は、日本では想像もしないものでした。

留学時のイタリアでは、私が専門とする労働法に関する大きな改革や議論もあったため、日本に帰ってきてから論文を執筆するなど、イタリアへの関心を深めるきっかけにもなりまました。そして4年後に、今度はイタリアとドイツの両国へと留学。一連の経験は、現在の研究生活や日常生活を送るうえでの支えやエネルギーにもなっています。

自分の可能性を制限するのはもったいないことです。「自分にはこの道しかない」「こう生きなければならない」と自らの生きる幅を狭めるのではなく、少しでも興味が湧けば、その気持ちに正直になって動くことで、見過ごしていたり選択しなかったりしたものと出会えるかもしれません。それによってまた別の異なる人生が展開していくこともある。身をもってこれを理解したことで、自分自身の人生に対して楽観視できるようにもなりました。

イタリアでの生活で、「気負わず自由に生きていいんだ」と実感し、生き方までもが変わりました。自分のやりたいことを限定せず、素直に向き合っていいという確信は、私自身、日本にいるだけでは得られなかったものだと思います。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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