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4つの高校の教壇に立って、「教員を育てる」道へ
2024.08.21

人生のターニングポイント4つの高校の教壇に立って、「教員を育てる」道へ

リレーコラム
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教授陣によるリレーコラム/人生のターニングポイント【79】

私は1983年に千葉県の公立高校に着任して以来、32年間で4つの高等学校(中堅校、ある程度の進学校、県のトップ校、定時制)で教鞭をとりました。

教員の過重労働が社会問題となっていますが、私は幸せなことに、一度も「教師は辛い仕事だ」と思ったことはなく、毎日がとても楽しい体験の連続でした。

しかし、さすがに何もかも順調だったわけではありません。

たとえば50歳を超えて赴任した定時制高校では、いまだに80年代のドラマ『スクール☆ウォーズ』の世界でした。

最初の3カ月は、はっきり言って生徒たちに手こずりました。彼らから見れば私なんて赴任したばかりの“一年坊主”ですから、「俺は4年もこのガッコーにいるんだぜっ?!」という感じで凄むわけです。

私は4年生の世界史などを教えていたのですが、授業は聞かないし、興味を持ってもらおうとビデオを利用しても全く見てくれない日々が続きました。

そんなある日、生徒の一人が「俺さ、今日は仕事でこんなことがあって、困ったんだ」と、周りの生徒に話し始めました。よく話を聞くと、労働基準法や社会保障などが、全然わかっていないのです。(ちなみに定時制ですから、生徒の多くは昼間は働いています。)

私は法学部出身ですので、そのような悩みなどに答えていきました。そうすると、彼らも次々悩みや疑問などを質問するようになって、だんだん私の話を聞くようになっていきました。

面白いことに、4年生が私の授業を聞くようになると、下級生も私の授業に集中するようになりました。

細かいことを言えば、世界史の授業で労働法などの話をすることは、学習指導要領的には外れています。しかし生徒たちにとっては、そのような授業こそ「生きるための知識」を獲得するものだったのです。

このように定時制高校での教員人生も順調になっていきましたが、「もし次に異動するとしたら、私はどのような学校を希望したらよいだろう?」と考え始めました。学力的には、ほぼすべての学校に赴任していたからです。

そのため、新しい環境を求めて大学の公募に応募し、明治大学の教育課程に採用されたわけです。これまでの「高校生を育てる」から、大学では「高校生などを育てる教員の育成」に視点が変わり、新しいことに挑戦する毎日です。

教員を目指している人に限らず、社会人の皆さんにはどうか、蛸壺に陥らずに広がりを持ってほしいと思います。先輩の話を聞くとか、読書をするとか、講演に行ってみるとか、若いうちはなるべく視野を広げて、自分の経験値を高め、挑戦を続けていってほしいと思います。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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