
人生のターニングポイント法科大学院で見た学生の姿が、研究者人生を変えてくれた
教授陣によるリレーコラム/人生のターニングポイント【58】
人生におけるターニングポイントはいくつかありますが、その一つが、2004年から明治大学法科大学院で教鞭をとるようになったことです。
そもそも人のために役立ちたいと明治大学で法律を学び、憲法のゼミに入って学問の奥深さを知ったことが、今へとつながるスタートラインです。教員となり、札幌大学から明治大学の法学部に移籍した頃には、どうしても自分の研究に重きがありました。もちろん学生たちの教育にも熱を入れましたが、彼らが卒業後に進む道はさまざまです。
それに対し、法科大学院の学生たちは、修了後、ほぼ全員が、日本で一番難しいとされる国家試験である司法試験に臨みます。教壇に立つと、限られた時間のなかで懸命に勉強したいという、学生たちの気持ちが強く伝わってきます。そこは、教員と学生が高い目標に向かって共に努力していく場であり、教員としてやりがいを感じる一方厳しさにも直面します。
楽しさを感じられるようになった背景として、明治大学法学部に教員として在籍していた時代に、ドイツのフライブルク大学に1年間留学し、向こうで、コロキウム(colloquium)という助手や若手教授陣などで行う研究会に参加した経験があげられましょう。このコロキウムには、後に連邦憲法裁判所の裁判長になった方も参加していました。憲法の理論や歴史などについて、1週間で厚い本を8冊読むようなペースで学び、白熱した議論を交わします。しかし、外国人の私としてはもう目を通すのが精いっぱい。普段の自分と立場が変わり、教えられる側の大変さや必死な気持ちを実感したことは、その後の研究のみならず、学生の指導にも活きる貴重な経験でした。
法科大学院での指導は、司法試験の合格だけをめざせばいいわけではありません。合格したあとは、弁護士などの法曹となる人たちです。憲法をはじめとする法の精神や、ジェンダー法などの大切さがどうすれば伝わるのかも、とても意識するところです。そのため、知識だけでなく、理念や公平というものを、いかに伝えるかにも心を砕く必要があります。憲法の基本的な理念が、判例の中でどう生きているのか。条文に書かれていない背景に気がつくと、興味も湧くし理解も深まっていきます。それをうまく咀嚼して伝えるのには苦心しましたが、私自身にとっても非常に勉強になりました。真に伝えるべき内容が正しく理解されるよう、熱意をもって真摯に伝えること。それは何事においても必要となることではないでしょうか。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。