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2026.10.08

現代都市はなぜ「緑」を欲するのか——社会学で読み解く再開発と「第二の自然」

現代都市はなぜ「緑」を欲するのか——社会学で読み解く再開発と「第二の自然」
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再開発によって生まれる巨大なモールや超高層ビル。その傍には、なぜ芝生広場や緑地が広がっているのでしょうか? 近年の都市空間では「ウェルビーイング」や「自然との共生」を掲げる再開発が急増していますが、背景には自然環境への配慮だけではなく、人々との関係を調整する戦略的意味合いがあると考えられます。

なぜ現代の商業施設は「緑地」を取り込むのか?

中川 雄大 私はこれまで、社会学の視点から都市計画や建築、インフラについて研究を進めてきました。なかでも一貫して取り組んでいるのは、都市を形づくる工学を社会との関わりから見ていくという作業です。

 都市空間は、単に技術によって設計されるものではありません。そこには、人々がどのような価値観を持ち、どのような暮らしを望み、自然や公共空間とどう関わろうとしているのかといった社会的な要素が強く反映されています。

 最近、私がとりわけ関心を持っている対象の一つが、都心再開発における「緑地の増加」です。近年、大規模な再開発では緑地や芝生広場を積極的に取り入れるケースが非常に目立つようになりました。本来、こうした領域はランドスケープや造園学の専門家が扱ってきた分野ですが、社会学の立場からも十分に考察すべきテーマだと考えています。

 たとえば、2023年に開業した麻布台ヒルズや2024年に先行開業したグラングリーン大阪は、その象徴的な事例です。これらの再開発では高層ビルや商業施設を整備するだけでなく、大規模な緑地空間を組み込みながら、「Green & Wellness」や「みどりとイノベーションの融合」といった理念を前面に打ち出しています。

 背景には、公園や公共空間のあり方を見直す政策的な流れもあります。近年ではPark-PFI(公募設置管理制度)に代表されるように、民間事業者の力を活用しながら公園を運営し、飲食店や商業施設などを導入して、より魅力的で収益性のある空間へ転換していこうとする取り組みが広がっています。

 しかし、ここで一つの疑問が生じます。そもそも緑地の整備や維持管理には、多大なコストがかかります。植栽の管理、水やり、剪定、土壌の維持など、継続的な手間と費用が必要です。また、緑地そのものが直接的な収益を生み出すわけでもありません。

 それにもかかわらず、なぜこれほどまでに都市空間のなかで「緑」が求められているのでしょうか。あるいは、民間主導の再開発に伴う緑地の整備はいかなる限界を抱えているのでしょうか。

 2025年11月には、東京都上野の東京国立博物館が本館前庭の池を撤去し、芝生エリアへ改修する計画を発表しました。この計画には賛否両論が寄せられましたが、少なくとも興味深いのは、「人々に親しまれる施設」をつくろうとしたとき、その有力な手段としてまず「緑地」が想起されている点です。

 緑地には、「人々の憩いの場」「心を落ち着かせる空間」といったポジティブなイメージが強く結びついています。もちろん、それはある種のステレオタイプでもありますが、そのイメージは都市部において依然として強い訴求力を持っています。

 こうした「緑」や「芝生」が持つ象徴的な力は、公園や商業施設だけではなく、美術館や博物館といった文化施設にも及んでいます。つまり、現代都市において緑地は単なる自然環境ではなく、人々を惹きつけ、空間の価値を演出する重要な装置として機能しているのです。

タワーマンションの足元に“緑の広場”がある理由

 では、なぜ都市空間において「緑」がこれほど重視されるのでしょうか。私は、その背景には、施設と人々との関係を調整するパブリック・リレーションズ(PR)的な機能があるのではないかと考えています。

 ここでいうPRとは、一般にイメージされる広告や宣伝活動だけを意味しているわけではありません。本来の意味としては、「公衆(パブリック)との良好な関係(リレーション)を築くこと」を指します。つまり、企業や施設が社会に対してどのように開かれ、どのように受け入れられていくのかを考える営みです。都市空間における緑地もまた、その役割を担っているのではないかということです。

 たとえば、これまで低層住宅が広がっていた地域に、再開発によって突然タワーマンションや高層ビルが建設されるケースを考えてみます。そうした巨大建築は、地域住民に対して少なからず威圧感を与えます。建物の低層部に飲食店や商業施設が入っていたとしても、「自分たちとは関係のない場所だ」「外から来た人のための空間だ」と感じられてしまうことも少なくありません。

 しかし、その周囲に芝生広場や緑地を整備し、「誰でも自由に過ごせる憩いの場」であるかのように空間を設計すると、高層ビルが持つ閉鎖性や威圧感はある程度やわらげられます。言い換えれば、「緑」は建築物のインターフェイスとなり、社会や人々との関係を調整する役割を果たしているように見えます。

 実際、タワーマンションの足元に広がる芝生には、人々にある種の動的イメージを喚起する力があります。たとえば、シートを広げて弁当を食べる、子どもが走り回る、キャッチボールをする——。もちろん、現実にはその場所で本当にそうした行為が許可されているかどうかは管理運営のルール次第ですが、重要なのは「緑の広場」という空間自体が人々に開放性や親密さを想起させる点にあります。

 つまり、「緑」や「芝生」には、隣接する施設の“間口”を広げる効果が期待されているのです。再開発によって生まれた巨大施設を、地域社会に対してより親しみやすく、受け入れやすいものとして演出する。その意味で、緑地は単なる景観要素ではなく、一種のPR装置として機能しているのではないかと考えられます。

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麻布台ヒルズ森JPタワーの前に広がる中央広場

 このように見ていくと、都市における緑地の整備とは、人間社会と自然との関係を象徴的に映し出すテーマであることがわかります。

 そもそも、伝統的に自然は都市と対立するものとして捉えられてきました。都市化とは自然を切り崩し、人工的環境を拡大するプロセスだと理解されてきたわけです。しかし実際には、都市は一方的に自然を排除しているのではありません。むしろ都市の内部に新たな自然を積極的に作り出しています。

 都市研究では、こうした現象を「第二の自然」あるいは「自然の生産」と呼ぶことがあります。ここでいう「生産」とは、資本主義の経済システムのなかで、どのような自然が価値あるものとして選び取られていくのかという問題を包含しています。つまり、現代都市の緑地は、空間価値を高めるものとして設計・管理・維持される“選択された自然”なのです。

都市の「緑」はどのようにつくられ、管理されるのか

 もちろん、「緑」のあり方は施設ごとに大きく異なります。私は現在、刊行資料の分析に加えて、関係者へのインタビューも行いながら、都心再開発の中で「みどり」がどのように構想され、設計され、運営されているのかを調査しています。

 たとえば、大阪市やURなど公的な主体が深く関わったグラングリーン大阪では、「みどり」をどのように位置づけるかが大きな論点になりました。単なる屋上緑化や壁面緑化ではなく、地表に広がる「ほんまもんのみどり」を求める議論があり、その一方で、都市の魅力や新しい活動を生み出す空間として「みどり」を捉える考え方もありました。そうした議論を経て、再開発地区であるうめきたでは「みどり」が単なる緑地ではなく、都市と人間、自然、環境との新しい関係をつくる概念として位置づけられていきました。

 他方で、民間再開発の場合には、むしろ社内での合意形成や部署間の調整も、ランドスケープのあり方を決めるうえで重要になります。ランドスケープを担当する部門と、まちの運営や地域マネジメントに関わる部門とでは、重視する視点が必ずしも同じではありません。また、空間をできるだけ周囲に開きたい一方で、敷地内で事故が生じた場合の責任をどう考えるのかという問題もあります。さらに、緑化が地表ではなく人工地盤や屋上で展開される場合、植物の生育や長期的な成熟には一定の制約が生じます。

 調査を進める中で印象的だったのは、緑の設計に専門的に関わるランドスケープアーキテクト自身も、こうした課題に深く悩みながら実践しているということです。都市の緑地は、単にきれいに整えられた心地よい空間ではなく、開放性、安全性、収益性、維持管理、そして植物や生態系の時間といった、さまざまな条件の調整の上に成り立っています。

 このような「緑」をめぐるさまざまな衝突や交渉、葛藤は、普段その空間を利用したり憩ったりする人々からは見えにくいものかもしれません。しかし、こうした「みどり」がまさに私たちと関わっているのだとしたら、見かけの心地よさだけではなく、その背後のある意味では「面倒くさい」部分も可視化し、社会の側で考えていく必要があります。その意味で、都市の緑とは、極めて社会的であり、社会学的な対象でもあるのです。

 現在、このような都心再開発について共同研究をしている近森高明教授(慶應義塾大学)は、空間の素材感、肌触り、雰囲気などを通じて、私たちがある場所を「なんとなく居心地がいい」と感じ、それを好むように働きかける力のことを「『質感』の政治」と呼称しています。私は現在の都市を覆い尽くそうとしている「『質感』の政治」を、見た目がとても美しく、思わず腰を下ろしたり、寝っ転がりたくなったりする青々としたふかふかの芝生から考えようとしています。

 一般に「都市をつくる」というと、都市計画の専門家や自治体、あるいはデベロッパーの仕事だと思われがちですが、実際には、どのような再開発を支持し、どのような都市空間を望ましいと感じるかという人々の価値観も確実に都市を形づくっています。

 だからこそ、自分たちにはどのような選択肢があるのかを知り、都市のあり方について考え、議論を重ねることが重要です。その意味で、私自身は社会科学と工学のあいだの“翻訳者”のような存在になれればと思っています。

 社会学の議論が工学の側に伝わり、逆に工学的な知見が社会科学に刺激を与える。この往復運動のなかで、新しい都市のあり方についての議論が深まっていく。そうした知的な基盤づくりに少しでも貢献することが、私にとってもっとも望ましい研究のかたちです。

【明治大学リバティアカデミー講座のお知らせ】

本記事の中川雄大先生が講師を務めるリバティアカデミー講座が12月19日に明治大学駿河台キャンパスで開催されます。都市社会学の視点から、都市の「みどり」は誰が、何のためにつくってきたのかを考え、「自然の生産」という観点から現代の都市空間を読み解きます。どなたでもご参加いただけますのでふるってお申込み下さい。

▶お申込はこちら

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英語版はこちら

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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