紙の新聞やテレビニュースは「情報の栄養士」である
もし、新聞社が業績不振で潰れてしまったらどうなるでしょうか? 「ネットがあるから大丈夫」と思う人もいるかもしれません。しかし現実には、政治や社会問題の一次情報を報じているのは依然として新聞社やテレビ局といった伝統メディアです。ネットメディアの多くは、それらの情報を検証したり言い直したりする立場にあります(なかには独自の調査報道を行うネットメディアも存在しますが)。
さらに言えば、新聞社の記者は「組織ジャーナリズム」と呼ばれる枠組みの中で訓練を受けたプロたちです。組織ジャーナリズムには批判もありますが、いまなお有効に機能している側面は無視できません。たとえば大災害が発生した際、利益に直結しなくても人員や資金を投入して現地に取材に行くのは、新聞やテレビが社会に奉仕する存在であり、公共性の高いメディアだからです。
また、国政選挙の情勢調査も、全国に取材拠点を持つメディアだからこそ可能な仕事ですし、戦争や紛争の報道においても伝統メディアの役割は依然として大きいです。新聞やテレビの取材記録は、そのときは翌日のニュースとして伝えるためのものであっても、後世には人類の歴史的な資料となります。人間がどのような愚かなこと、そして尊いことをしてきたのかを振り返る手がかりになるという点で、きわめて重要な財産です。
もちろんフリーランスの活動の意義を否定するものではありませんが、こうした意味でも、組織で鍛えられた記者による一定水準以上の質が担保された報道は社会に不可欠だと私は考えています。
しかし他方では、新聞をはじめとする伝統メディアの信頼性が徐々に低下しているという問題もあります。新聞が読者を取り戻す即効性のある解決策は、正直に言えば、私もまだ見出せていません。
近年では、政治や芸能をめぐる話題について、ネット上の盛り上がりを既存メディアが十分に把握できていない場面が目立ちます。その結果、SNSを情報源とする人々からは「伝統メディアの報道は不完全だ」と映るのでしょう。しかし裏を返せば、新聞やテレビがまだ存在感を持っているからこそ批判の対象になるとも言えます。まったく無関心であれば批判すらされません。つまり、批判や不信の裏には、いまだ一定の信頼や期待感が残っているのです。
伝統メディアの利用方法として、私は「スマホを30分だけ切って、紙の新聞やNHKなどのニュースに触れてみる」ことを勧めています。なかには「スマホでニュースを見られるのだから、紙の新聞やテレビは不要だ」と考える人もいるでしょう。しかし新聞やテレビの利点は、自分で選んでいない情報にも触れられる点にあります。
SNSではアルゴリズムが自分の関心に合わせてコンテンツを流しますが、新聞の紙面には自分が興味を持たなかった話題も並びます。テレビニュースも同じで、クリックしなかった情報が自然に目や耳に入ります。こうした偶然の接触が、私たちの世界を広げてくれるのです。
その意味で、既存のマスメディアは膨大な情報を取捨選択し、一定の形に整えて提供してくれる、いわば「情報の栄養士」のような存在です。SNSで自分の好きな情報ばかり摂取していては、毎食ビュッフェに行くようなもので、栄養が偏って体調を崩すように視野が狭まります。だからこそ、定期的に「栄養バランスのとれた定食」としての新聞やテレビに触れることをお薦めします。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。
